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ヒウンの夜
日時: 2013/02/20 21:44
名前: Army Major◇PmkXtdTt ID:KCazFtTk

ー作者紹介

少佐 : コジョミロジャロメノコ大好き 

年齢 : 秘密

体重 : 秘密

職業 : 軍人。狂人。病人。三文ライター

趣味 : 読書。お参り

ポケモン歴 : サファイアの時代からこの世界におります

マイブーム : お散歩

最近読んだ本 : 『第二次世界大戦』<上><中><下> アントニー・ビーヴァー 白水社

他の連載中の作品

『諸君、私はランダムマッチが好きだ。』↓
http://www3.koro-pokemon.com/write/read.cgi?no=336


【目次】

・シチュアシオン 創刊の辞 >>1

・シチュアシオンT――― 小説 短編集 >>23

・シチュアシオンU――― 小説 中編集 >>24

・シチュアシオンV――― 小説 ショートショートストーリー >>25

・シチュアシオンW――― フレンド対戦集 第五世代 >>26

・シチュアシオンX――― フレンド対戦集 第六世代 >>29

・シチュアシオンY――― Discours >>30

・シチュアシオンZ――― 評論 批評 >>31

・シチュアシオン[――― 小説板短編集スレッド集 >>33

・シチュアシオン\――― 戦友たち >>34

・シチュアシオン]――― http://www3.koro-pokemon.com/write/read.cgi?no=659
メンテ
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Re:”Books” ( No.226 )
日時: 2015/03/30 15:15:12
名前: 少佐◆PmkXtdTtWWM ID:JhZHE/L6

『少佐のA.B.C.D.E.....』


「爆弾的な書物は、いつまでもその起爆力を失わない。」

―――ジル・ドゥルーズ:『スピノザー実践の哲学』P24



B-1 本の力


「先日、私の知人のチーム・アマテラスの零式提督の本棚を拝める機会がありました。これがなかなか個性的な本棚でして、ダイヤモンド出版社というビジネス系の本の隣にラノベが置いてある(笑)」


ーーー・・・・・興味深い本棚ですね(笑)


「西内啓さんの『統計学が最強の学問である』という本だったんですけど、私も実は持ってます(笑) いやはや、何だか、ちょっと嬉しかったですね。本棚とはその人の生まれて来てから今までの思想の軌跡ですから、私と提督の思考がどこかで触れ合っているんだなあと、そんな甘〜い気持ちになりましたね。また本の内容についてお話ししたいな・・・」


ーーー少佐の小説では本というか・・・古典というか・・・良く登場しますよね、『本編』だと、ハイデガーの『存在と時間』。ニーチェは実際にコジョンドの夢の中に出てきますし(笑)短編集だとサルトルや、小林秀雄、ラカン、デリダやドゥルーズが頻繁に出てくる。書評家のヒガンバナさんも言ってましたが、よくそんな知識を手に入れてきますよね(笑)


「(笑)
ほとんど、フランスの現代思想家ばかりですね、私の思考の欠陥が顕著に表れているなあ(笑)
本は毎日読んでます、小説、時勢本、ビジネス本、科学の入門書、動物の本・・・etc。中でも、哲学書は格別に味が違う。小説を書くためのアイデアの宝庫ですよ、哲学書はね(笑)
・・・なぜ人は本を読むのでしょうか? 
暇つぶし?教養を深めるため?俺は知的な人間だぞ!って自慢するため?レポートを書くため?ビジネス分野で生かすため?
全部否です。私は”自分が試される”のだと思います。やっているのか、やらされているのか・・・そういう陳腐な思考をぶち破るには本を一冊とって自分を孤独に追い込むのが一番なんです。
今さっきあげたような動機って何か有用性がある、使うためみたいな―プラグマティズムー道具主義の立場から見た読書論だと思うんですよ。役に立つ立たない、読書文化ってそんなつまらない二項対立で割り切れるものじゃあーないでしょう?
これについて、面白い見解を池波正太郎という昭和の小説家が述べています。彼曰く「無駄に見えるものをどれくらい許容できるかが、文化というものでしょう」・・・いい言葉ですね、そういう観点で見ると、文学や哲学などのハイカルチャーとアニメやマンガ、ゲームのようなサブカルチャーとの境があいまいになり、ドゥルーズ風に言うと、『脱テリトリー化』し始める。境界をあえて侵犯する、『意味の論理学』で述べられているような物事の意味を特定の鋳型にはめ込む閉塞的な思考が粉砕され、新しい表現のアレンジメントが、生成変化が見出される。まさにそいつは芸術の根源ですよ。」


ーーー(・・・何を言っているんだろう、少佐ぁ(汗)日本語でおk)
最初の方で、”自分を試す”とか言ってましたが、どういうことですかな?


「そうですね・・・できるだけ、簡単に説明しましょう(笑)
私たちはほとんどの場合、生まれてすぐに共同体に帰属することを求められている、ウェーバー風に言うとアンシュタルト型の支配団体の中で生きています。そこでは高等教育に進むに比例して、生徒の均質化が顕著に行われてくる。もちろん良い先生は生徒を素質を活かさない、そんなマネはしませんが(笑)
まあ、そんなこんなで狭い区間の中で優秀だとハンコされた生徒は大学に出荷される・・・そこで彼らを待ち受けているのは学問の自由さです。その段階になって初めて自分の今までの知識が使い物にならないと悟る・・・」


ーーー・・・・・?


「高校であんなに頭が良かった友人が大学に入ってから、どうも落ち込んでしまった・・・そんな話は良く聞きます。それは大学は”学問をする”場所であるからなんです。勉強ができるヤツが突然できなるのは至極当然。今から詳しく見ていきましょう。
高校までの”勉強”には必ず答えがあります。それは上から与えられている、押し付けられた、被った課題であるからなんです。勉強じゃないですね、宿題です、どこまで行こうと。
しかし、大学の勉強というのは課題を自分で見つけて、自分で答えを導き出さなければならない。これが”学問をする”、ということなんです。高校までの勉強は学問ではないです、いわば、学問をする基礎体力をつけるということでしょう。」


ーーー衝撃的な考えですね、でもなんとなく少佐がいいたことが分かったような気がしました。つまり、自分を試す、”学問をする”瞬間に読書が大きな働きをするのですね。


「ヤー、まあ、そういうことです(笑)」



Re:”Books” ( No.227 )
日時: 2015/03/31 05:05:17
名前: 少佐◆PmkXtdTtWWM ID:dtuG3LJs

『少佐のA.B.C.D.E.....』


B-2 小説板の作家たち


ーーー先ほど、本のことについて伺いましたが、少佐が一番尊敬されている作家さんって誰なんですか?ちょっと気になります(笑)


「ちょっとだけ・・・なんですか(笑)そうですねエーうーん。・・・・・二人いますね。
まず、上げるとすれば、ロシアの文豪ドストエフスキー。たぶん、人類が生み出した最高の小説家と言っても過言ではない偉人です。『本編』に出てくるアクーラ旅団の司令官、ラスコリニコフなんて、彼の小説の『罪と罰』の主人公の名前ですし(笑)
もう一人が、私の師であり、ライヴァルである、絶対零度先生ですね。あの人がいなければ、私はここで小説を書いていなかった・・・断言してもいい。それほどまでに彼は偉大な作家なのです。これから小説を書こうと思っている人は、まずあの人の作品を読むことから始めるのがセオリーでしょう。
一番読み込んだのは、私の可愛い盟友である緑茶さんの作品ですね。彼の処女作の『【Pocket Monsters Dark gray】』は表紙がすり切れてボロボロになるくらい読みました(笑)」


ーーー(笑) 


「・・・次に桜月さんかササミ会長の作品かな・・・あれも面白いですね、読むたびに何か発見がある。
桜月さんだと一貫して近代文学が主題としてきた、”罪”という概念を作品内で問うてますし、サリアス様の規範意識(=倫理)が規範意識の源流である社会と対立することが、罪という概念の摩擦であると発見したときは、我ながら惚れ惚れとしましたね(笑)
会長は最近は心理描写に力を入れるようになってきている。まるで作中人物との対話を行おうとしている・・・ポリフォニー論のようだ。もしかすると・・・『世界』の外に立つ他者が『自己』の中に住む対話をしていく過程で『私』の境界、すなわち小説表現の臨海線上に挑戦しようとしているのかもしれない。これは新しい小説のアレンジメントだ。
作家さんの内面の変化が文章にはヒシヒシと現れてきています、そういうダイナミズムを私は発見すると何だか無性にうれしいし、読者の一人として、楽しい。小説を読む・・・テクストの快楽というヤツでしょうね(笑)
私の好きな作家さんたちの作品の内容はどこか、ある哲学者と共振する場合が多いし、相性が最高だ。
緑茶さんなら、差異と生のジル・ドゥルーズ。 桜月さんなら、社会の内面と個人の外面を貫く、包含する脱構築哲学のジャック・デリダ。会長なら、対話とカーニヴァル化。ミハエル・バフチン。寒ブリさんなら、現実的な媒介項を持たない断絶でも劇的な変化を見出したジョルジョ・アガンベン。夢林檎さんなら、区別不可能=同一の原理である、外的規定と内的性質を持つモナドロジーを提唱したゴットフリート・ライプニッツ。」


ーーーしかし、少佐、今あげた小説家の皆さんはそういうことを意図的にはしていらっしゃらないですよね?貴官みたいに(笑)


「・・・・・まあ、そうでしょうね(笑)
「しょ、少佐さん!そんなに深く考えてませんよ(汗)」「相変わらず、私の事を過大評価しすぎですね、少佐さんわw」とかいうんでしょう(笑) 全部、私の妄想です(笑)
ドゥルーズの『差異と反復』で登場する”思考のイマージュ”という概念が述べていることなんですが、優れた小説家は無意識のうちに作品内にある哲学を孕む。マラルメにしてもプルーストにしても、そこにはライプニッツの哲学と深い共振がある事が見える人には見えます。作者が意図的に導入したかどうかなどは、もはや問いに意味をなさないのです。だからこそ、文学と哲学との境界や不均衡、それぞれの此性や強度をしっかりと身を凝らして考えなければならない。
今のライトノベルがお粗末なオペレッタ化しているのは、小説の内容よりも、キャラクターの個性が強すぎるため、小説や伝えたい内容の構造がはっきりと見えてこない・・・簡単に言うと、演劇よりも役者の方が目立っているからなんだと思います。そんなチープナもんで心ゆすぶられて、感動しろ!という方がオカシな、無理な話でしょう(笑)」


ーーー貴官の書評やある作家さんについて言及することって、言い方悪いですけど・・・まるで背後から近付いて”子供”を拵えてやるみたいな感じですよね。少々、強引さが否めない。


「ほうほうほーう。良い比喩ですね、関心しました(笑)
私がある小説家について書く場合、彼らの『語ったこと』や『述べていること』をそのまま繰り返すというより、彼らの方法や、彼らの小説の内容が展開する新しい可能性について提起する。いわば、語らずして行うこと、行おうとしようとしていることについてのヴィジョンから書いていますね。私のような凡人にはそれぐらいの事しかできない。」


ーーー(貴官ほど強烈な作家さんはいないと思うけどな・・・(笑))



Re: ”Books” ( No.228 )
日時: 2015/04/04 16:16:16
名前: 少佐◆PmkXtdTtWWM ID:iJ4fH5eI

『少佐のA.B.C.D.E.....』


B-3 『読む』という営み


「最近ってなんだかあれですよね、『読む』という力が本当に軽んじられている時代だなって感じます。新聞欄で掲載されている読書感想文の指定対象図書や感想の質なんかそうでしょう、今の国語教育が死んでいることを暗示する典型的な例だ。」


ーーー言いたいことは分かりますよ、本を読む人が少なくなってきている、活字離れが深刻な問題として現れている・・・そういうことですよね?


「いやいや違いますね(笑) むしろ今の時代は活字に慣れている人が非常に増えてきたのではないでしょうか? フェイスブックやツィッターなんて活字ですし、会社の山のような報告書なんてそこらの単行本よりウェットはともかく、内容は濃ゆいです(笑)
私が言いたかったのは、『読む』という営みは本に限ったことではなく、話している相手の心を読んだり、場の空気を読んだり、先を読んだり、そういうことです。
読む力が弱い人・・・宗教に狂う人や頭のおかしい人ってまず本を読まない人が多い。”そういうこと”しか知っていないから私のように断言口調なんでしょう(笑)ヴァカな人間の特徴ですね。
統計を取れば簡単に分かることだと思いますが、そうだなあ・・・夏目漱石の同僚で京都帝大の文化学科の学長に上り詰めた、狩野亨吉という人がいるんですけど、この人、スゴイ読書量の持ち主でして、幸田露伴はエッセイか何かで「あの人ほどに本を読んでいると、宗教なんてヴァカヴァカしくなるだろう。」って言っているほどなんです(笑) のちに狩野は京都に西田幾太郎や内藤湖南を招聘して、京都学派の礎を築き、また時の皇太子の教育掛に推挙されましたが、「ぼくは危険な人間だ」だと断った(笑)定年後は何をしたかというと、好色本・・・今でいう快楽天、エロ本の類いですね、それのコレクションに勤しんだ(笑)」


ーーー(大爆笑)


「面白い人ですよね(笑) こんな人がかつて日本にはいたんですよ(笑)
詳しく知りたい諸君は、電子書籍で彼の本が無料で読めますから出勤や通学のお供にぜひご愛用を(笑)」


ーーー少佐も結構本をお読みになっていますよね、会話の内容のほとんどが本に関することです。いつもどれくらい読んでいらっしゃるんですか?


「そんなに読んではいないんですけどね(笑) 冊数やページの多さで読書量を図るのは浅はかでしょう、図る定規は内容です。
ラノベや、ベストセラー本を年に百冊読む人と哲学書を時間をかけて年に二冊しか読まない人がいるとします。私なら後者を讃えるし、お話がしてみたい。
哲学書や人文書ははっきり言って読破する・・・いや通読すること自体が難しい本です。まるで時限爆弾みたいだ、解体するためには”技術的な知識”がまず前提として求められています。
私なりの意見なんですが、これから哲学書を読んでみたいと思う諸君は、まず三年は哲学史の知識の蓄積に当てた方が良い。私は高房時代に部活もそんなにしてなく、勉強にも励んでいなかったダメ男でしたから、哲学史ノートを拵えてプラトンから現代までの哲学者を簡単ですが要約して自分の勉強をしていた。今は実家に眠って主人の帰りを待っていますが、大学ノート十三冊にわたるとんでもない量です。母には捨てないでくれって頼んでいます(笑)
今手元にあるのはプラトン以前の哲学者。プラタゴラスとかタレス、キロンとかですね。初期のニーチェが多く言及している哲学者ばかりだ。
哲学書や人文書って知識や使っている単語が頭に入っていないと絶対に読めないんです。全体として取り扱っている問題は何か、まず確認すること。哲学史を知らないで、カントの『純粋理性批判』を読破できる人間はまずいないでしょう(笑)いれば天才的な哲学センスを持つ羨ましい人だ。」


ーーーどうして哲学なんかに興味を持たれたのですか?


「・・・・・難しい質問ですね、うーんん。

端的に言えば・・・・・心が不安だった。周りのみんなが楽しく青春を謳歌している中で私一人馴染めなかった。いつも私は図書館にこもって一人の時間を楽しんでいた。孤独な俺、かっけー!みたいなヴァカなカンジだったのではなく、自分は不安ですって数少ない友達や先生、親に話すのがとても恥ずかしくて、自分自身で解を見つけて乗り越えなくてはいけないと無我夢中だった。
そんなときにニーチェに出会った。ちくま学芸文庫のニーチェ全集第十一巻『善悪の彼岸/道徳の系譜』・・・あの衝撃は忘れられないですね、人生が変わったなんて大げさな言い方ですが、彼は私に最高の思考を授けてくれた。
ニーチェは過去の哲学を糾弾するヴィジョンに立ってますから、理解するためには哲学史を調べなくてならないのは至極当然。必死に勉強しましたね、寝る暇も少ない小遣いも、自分が持っているものをすべて、はたいて本ばかりに蕩尽してました(笑)それからハイデガー、ドゥルーズ、と現代思想と呼ばれる哲学者ばかりに興味のベクトルは向き・・・今に至ります。
哲学って便利ですよね、真理を求める強靭な論理形式でもあり、不安な個人を救済する思考でありながら、ポケモンの小説についても語れる柔軟な学問でもある。こんな魅力的なものを見逃す手はない。そう思いません?」


ーーーなるほど、通りで貴官が研究者でもないのに、精神分析の造形に詳しいか、納得いきました(笑)







Re: エシュロン/ヒガンバナさんへ ( No.229 )
日時: 2015/04/06 16:16:25
名前: 少佐◆PmkXtdTtWWM ID:edb/D4uk

『少佐のA.B.C.D.E.....』


「いつも良い視点を、あるいは最良の視点を見出すこと。
でなければ無秩序さらには混沌しかあるまい。」

―――ジル・ドゥルーズ『襞―ライプニッツとバロック』P39


C-1 書評/批評とは何か?


「お次は”C”ですね、そうだなあ・・・本当は私の執筆を陰で支えてくれる”C4(=Cigaret Cocoa Coffee Cola )”について話そうかと思いましたが、前案撤回。”Critique”(=批評)の”C”にしましょう。
先日・・・とても悲しいことがありました。」


ーーーといいますと?

「一つは、エシュロンの引退、もう一つはヒガンバナさんの引退(仮)。
エシュロンについて、彼のことは非常に好きでしたし、彼もまた私の事を愛してくれた。良く私の小説についてコメントしてくれたし、ボイスチャットを使って腹を割って話せるほど、さばねこさんに次ぐ大切な大切な戦友だった。彼が引退すると四月一日に発表してましたが、私はエイプリルフールのつまらないジョークだと思っていた。しかし、事情は違った。でも、私は再び会える、帰ってくると信じて、サヨナラなんて言わない。行ってらっしゃい!と彼の背中を押してあげる。それで十分、彼も分かってくれるはずです。

ヒガンバナさんについて・・・彼は私とほぼ同期生ですね、書き始めた時期がほとんど同じで小説板交流掲示板の短編コンテストにも一緒に参加したこともある。当時、私はほんとに駆け出しのライターで小説のABCなんて理解していなかった。初期の作品を読んでいただければ分かると思いますが、ひどい出来ですよね、めちゃくちゃだ(笑)
筆が遅い作家・・・そんな印象を当時は持っていました。彼の真価は恐らく小説より、批評でしょうね。かぼちゃ君の作品に対する彼の批評文を読んで、私は何かとても偉大な出来事に遭遇しているんだ、と小さな脳みそに激震が走りました。あのチープな内容の作品に対して良くあれだけ書けるのかと感心しました。
批評とは何か? 岩波の哲学辞典を引けば、『物事、あるいは一つの原理または事実を評価するために検討することである。』と書いてますね。小林秀雄なら、批評とは人や作品を褒める特殊な技術のことだと反論すると思いますが(笑)

彼の批評文は前者の方が強く出ていますね、まさに物事の、文章の真贋を見極める眼を彼は持つ稀有の作家だ。」


ーーー小説家兼書評家の作家というと、少佐と何か似ていますね。貴官とほとんど同じではないんでしょうか?


「フーフン(笑) 小説家兼書評家、作家としてのスタンスや、哲学は彼と私は共鳴する点は非常に多いですが、ちょっと違いますね。
まず、書評について。私の場合、小林秀雄の影響が強く、書評とは作家や作品を褒め殺すものだと思います(笑)主観的な要素が多く、書評というよりも感想という味が強い。つまり、主観から出発する文章なんです。
彼の場合、全く逆で、ある作品を過去の作品と照らし合わせて客観的に文の構造とその欠陥している場所を探し、どうすればいいか、どう修正すれば適切か、その問題群を作家に伝える。
まるで、マルクスのテキストを青年期の疎外論から、後期の弁証論を中心とする『資本論』との断絶を指摘し、後者にマルクスの高度な哲学を見出したアルチュセールの『認識論的切断』を見ているようなディジャブに襲われる。だから私は彼の文章に関心したんだなと今は思います。伏線があったんですね、小説みたいに(笑)
彼はこの難しい技術をものにしておりまして、まさにこれは彼独自の尖鋭された哲学です。アルチュセールに倣って、”プロブレマティック=問いの構造”とでも定義しましょうか。小説という”体系”、”思考の構造”に深く踏み込む場合、この技術は大変役に立つ。それは”体系”という多大な、膨大な要素群としての”思考の構造”を統一化するために作用する、もしくは反作用する”働き”をとらえているからなんです。」


ーーー難しいことをペラペラと言いますね(笑) 絶対にヒガンバナさん、そんなこと一ミリも考えていませんよ(笑)


「そうでしょうね(笑) 簡単に言えば、小説に哲学を与えるのは書評家の手が加わらないと不可能な次元のお話しだということです。作者が故意にやっているのが私です(笑)

もう一つだけ彼と違いを言うと、私は作品だけではなく、作家も同時に思考対象に加える。いわば、作品と作家が私の趣向にあっていなかった場合、絶対に書評を書かない。緑茶さんと桜月さんは本当に好きな作家さんで、彼らの作品の書評はすんなりと一万字、二万字と書けた(笑) 特に緑茶さんは大の好物でして、なめるようにテクストを読んでいます、彼の作品のことについて語れと言われたら、三時間、四時間ぐらいは余裕で超えるでしょうね(笑)
『小説板短編集』の解説が進まないのはだからなのかもしれない。いわばアマチュアなんですよね、自分の好きな作家の事しか書かないダメダメ書評家なんです、私は(笑)
短編スレの解説と緑茶論の執筆をもって書評はもう書きません、私の趣向に合う作家なんてもう小説板にはいない。

ヒガンバナさんはこれまた逆で、読むに堪えない文章や駄文でも作者が頼めば、すぐに取り掛かって仕事をしてくれます。私の小説をあれ程までに深く読んでくださって実りのある論を捧げてくれたのは彼が初めてです、作家として・・・・・一人の人として感謝します。ダンケシェーン!
耐えることが出来る、どんな状況にでも最善の一手を下すことが出来る・・・彼は私と違って職人・・・プロなんでしょうね、尊敬しますよ。

彼と私は例えるなら、そうですね・・・鏡の像のようなものです。向かい合って本当の”自分”に気づく、似てはいるが、眼を凝らして良く見ると正反対だ(笑) しかし、内面はほぼ一緒。だから私は彼とまた仕事がしたいし、小説/批評という共同作業に打ち込みたい。彼みたいな・・・私が唯一満足できる好敵手が常時いてくれないのは、本当に残念至極。ガチで泣いちゃいますよ」


ーーーガチで泣かないでください(笑) また、きっと会えますよ(笑)


Re: ”Critique” ( No.230 )
日時: 2015/04/09 01:01:02
名前: 少佐◆PmkXtdTtWWM ID:ge5Yj7eE

『少佐のA.B.C.D.E.....』


C-2 タイフーンが去った後に


「一連の騒動は一昨日、ようやく収まりをみせましたね・・・今回の件であやふやだった運営の方針やスタンスなどが露呈し、改善を迫られ、私たちは自分たちが共有すべきビジョンを見出すことが出来た。私たちは多くの事を学んだ。これは進歩ではないのでしょうか?私は進歩主義者の仮面をかぶる科学万歳主義者ではありませんが、あの騒動で運営、いや、短編スレッドの高度な組織編成への道手順、階段を踏み込むことが出来たと私は結論しています。」


ーーー才能がある人たちが集まると何やかんやでもめますからね、歴史を見れば白樺派の分裂や、ウィーン学団の解散、フランクフルト学派内部で展開されたフロムとアドルノの理論的対立・・・


「ずいぶんとお詳しいんですね(笑)
前言はまさにその通りで、私たちが対立していたというか、すれ違っていたのは、私を除く彼らが同時代における最高の作家であるということを示す決定的な証左であると思うんですよ。作家の個性があれば意見が相容れないのは当然です。
凡人の私が何でいるんでしょうね(笑)

ヒガンバナさんはテクストの客観的な分析ができる唯一の人だし、緑茶さんはそれまで蔑ろされていた、というか絶対に完結しないと思われていた王国の小説板の冒険小説の伝統を一から再建して自分の優れた塔を建てた。まるで、経験論に攻撃されて無残に破壊された形而上学を再興したカントのような手さばきだ。
会長は台本小説の新しい”流れ”を創った最初の人物です。史を見れば一目瞭然、”会長以前”と”会長以降”では台本小説の形式やガヴァナンス、質がまったく異なる。これだけ影響力を持った作家は会長以外にいないでしょう。コジョンド大好き倶楽部の会員として押しておきます(笑)
寒ブリさんは最近は本編の方の執筆が進んでいないみたいですが(笑) 彼は読者の声を大切にする素晴らしい作家で読者からの要望に沿ってテクストを構築し、自分の伝えたいことまでも織り交ぜる、というとんでもない芸当を平気でやってのける凄い人です(笑) 彼の高い実力がそれを支えているんでしょうね、テクストの”偶然的断絶”というのかな、アガンベンぽくってイイなあ・・・」


「”テクストの偶然的断絶”?どういうことですか?」


「簡単に申しますと、”テクストの偶然的断絶”というのは、アガンベンの『ホモ・サケル』という偉く値段も敷きしも高い本で言及されている、歴史の哲学的考察を私が小説の構造分析に応用した概念ですね(笑)
アウシュビッツのような歴史の無残な断絶――彼は例外状態と読んでいますが――あらゆる前提がまずストップして、新しい規範・規則が切り開かれるときに何が起こるのか?それは例外状況下で例外的なところがどこにあるのかを問うことに他ならない。例外状態が規則であり、規則を規則足らしめている規則なのです。”規則=小説の構造”と換言すれば、彼の小説にも同じことが問うことが出来るでしょう。」


ーーー・・・まったくおっしゃっていることが分からない(笑)


「・・・(笑) よく言われますね、お前と話していると頭がおかしくなりそうだ!って(笑)
今見たようにもめていたのは、そういう個性的な作家さんばかりだったということなんです。逆説的に言えば、作家の個性を持つ人間でしか参加できなかった騒動であったんですよ。
以下、不適切且つ癇に障るようなこと言いますがご了承ください。

ヒガンバナさんは最初は彼特有の客観性に基づくポジションで批判していましたが、最後の方で、怒りのせいで頭に血が上っていたんでしょうね、煽りとも取れる発言をしてしまった。無理もない、自分が丹精込めて書いたものを後から『これは方針に合いません』と突っ返されたら私だったらキーボードをぶっ壊している。

緑茶さんは自身が振り返って述べているとおり、言葉の適切さや選出を多く間違えてしまって物事を楽観的に考えてしまい、これだけ大きな騒ぎになることを予知できなかった。

寒ブリさんは、書評という役割についてあまり深い知を持っていなかった。これは緑茶さんにも、私にも、会長にも、もしかしたらヒガンバナさんにも、同じことが言えるでしょう。書評は作者と小説をつなげるために書かれていません、作者と読者をつなげる役割を負っています。特にヒガンバナさんの文章には顕著に表れている。文章を書く人間はどうも自己顕示欲が強い。私なんかそうでしょうね、自分の得意分野の知識をひけらかして、対象の小説の内容と脱線してしまうことが多い。いわば、”作者や自分に寄り添って”モノを書いているからなんです(笑)
ヒガンバナさんは、上記の意味で言えばまったく正反対。常に”作品に寄り添って”書評を書いている。自己顕示欲なんて微塵もない。こういう人が今、本当に求められていると私は思います。作品に寄り添うからこそ、読者は独りよがりの主観性から客観性へ昇華できる。私も他の運営の諸君もそういうことをあまり理解していなかった。

書評のあるべき姿は、内容に踏み込んだ発見や違った面白さを提供するのではなく、常に作品に寄り添って、魅力的な最終的な”仕上げ”をメイクアップすることでしょう。」


ーーー当の作家さんたちがどう思っているのかは彼らの胸の内、ということで少佐もサルトル的な発言されていましたよね。『戦場』とか『歴史的な』とか『時代である』とか(笑)


「私の場合は自身から出発して全体を考察するヴィジョンに立って発言していましたね、今思えば空虚な内容です(笑) 何でもかんでも見渡せるような言葉は、何も見ていないということをあからさまに呈している。また、差別主義者ともとられる内容です(笑)
会長は自身から出発して自身に帰ってしまった。全体としてモノを考えるときにこれでは何を言いたいのかよくわからないし、何より相対的過ぎる。個に立って個を考えているから相対的なんです。論理的に矛盾しているのは無理もない。」


ーーー今回の件で、私たちは多くの事を学んだ・・・と貴官は先ほど言いましたが、それは”C”に入る前に引用された『良い視点』を手に入れた、ことでしょうか?


「まあ、そうですね。ただそれは一時的な、ということで(笑)
状況は常に流動しています、従って私たちは考え続けなければいけない。安易な結論に至ることはただの甘えで、その都度移り変わる”何か”を捉えるために必死に模索すること・・・・・どっかのかぼちゃ君みたいに問題が起きたからやめる!なんて論外ですし、逃げを打つより、立ち向かう勇気を私たちは持つべきでしょう。
たくさん仲間がいるんだ、自分の力不足なら頼ってもいいはずですよ。倒れてしまったなら私の肩を貸そう。困ったなら私の手を貸そう。もう歩けないなら私が足になろう。馬鹿みたいに笑ったり、泣いたり悩んだりして彩る美しい人生の戦友じゃないですか。せっかく広いような狭いようなインターネットで出会ったんですし、一緒に戦いましょうや。
それが小説家の唯一の交戦規定であり、また大人が集まる集団のマナーだと思います・・・なんちゃって、ね(笑)」


Re: ”Danseur” ( No.231 )
日時: 2015/04/10 16:16:18
名前: 少佐◆PmkXtdTtWWM ID:rfx8FfSs

『少佐のA.B.C.D.E.....』


「愛と死の危険な条件において、ダンサーはフロアとともに機械となる。」

―――ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ:『アンチ・オイディプス』<下>P314


D-1 一つの世界への収束か、複数世界への発散か


〜休憩中〜


「・・・・・フゥー。・・・美味いですよね、仕事がひと段落ついた後の一服というのは(笑)」


ーーー本社は一応、全面禁煙なんですけどね。社長から特別に許可をもらったんですよ、少佐。


「ありがとうございます(笑) どうーもこのご時世、喫煙者はゴキブロスのように駆逐される悲しい時代でして。本当につまらない事ばっかりする人が増えましたね。」


ーーーつい二十年ほど前はどこでも吸えましたよね、タスポなんてなかったし、駅のホームでも、病院でも吸えた(笑)


「私が唯一三次元で好きな女性、広末○子さんが出演する映画『ぽっぽや』を観ると電車の中でも吸っている人いますよね(笑)昔は良かったな・・・
そういえば、自慢じゃないですけど、この小説板で初めてタバコを描いた作家は私が初めてなんですよ(笑)」


ーーーどーでもいい自慢話ですね(笑) サザンドラ軍曹ですか?


「ヤー(笑) 彼女は良いキャラですよね、私もお気に入りのキャラです。なんで殺したんだろう(笑)
軍隊ものの小説を書いていますから、タバコを出さないとお話しになんない。でも、最近観た戦争映画で、第二次世界大戦後期の戦車兵を描いた『ヒューリー』や泥沼のイラク戦争を戦った米軍最強のスナイパーの自伝『アメリカンスナイパー』でも喫煙シーンはほとんどないですね。監督を責めるわけでもないですが、やる気あるのかなあ、とか思います。
タバコについて、私はガキンチョの時分からカッコいいという感情を抱いていました。『コンバット』という第二次世界大戦の米兵を描いたテレビドラマやサルトルの写真とかの影響でしょうね(笑)男らしいというか、かっけー!って思っていました。父も母もヤらない人なんですけどね(笑)」


ーーー私も二年くらい前までは吸っていましたが、増税を機にやめました。でも、今でも貴官のように目の前で美味しそうに吸われていると、何だか無性にヤリたくなる(笑)


「すみませんねェー(棒読み) 
現代って本当に異常な方向へ向かっているような気がします。明確な自分の意見や深い知識を持たないくせに、平気でなんでも反対するような方向へ意図も簡単に同調する雰囲気っていうのかな、原発やタバコ、女性宮家、TPP、ファイアロー、メガゲンガーの重複催眠なんて典型的にそうでしょう。負の面ばかり強調して、ワーワー集団で反対している。実にカトリック・キリスト教的な病だ。」


ーーー・・・?


「ああ、すみません。何か宗教はお持ちでしょうか?」


ーーーいえいえ、特別に信条している教派はありませんよ、続けてください。


「良かった、こういう話をすると激怒プンプン丸になる人いますから(笑)
ある特定の宗教、信条、教派、あるいは思想、イデオロギーに帰依する人って、何か、自分の抱える不安や問題について解法・・・解放でもいいと思いますが・・・そういうことに期待していることが多い。
カトリックの根本的な教義に禁欲的というものがありますが、あれは良く考えると、人をゆっくり自殺に追い込んでいるのと同じ。より良く死ぬために、生きているうちから死んでいろ!と言っている・・・何の冗談でしょうね(笑)
十字架にかけられた死体を崇める宗教に何を期待しているのか、あの宗教は身体、肉体、快楽を諦めるのが美徳と言っている。ふざけるなァ!お前は三次元をおいおいと捨てるヲタクか。
いいですかァ、背後世界とか天国地獄、楽園や権威づけられた神や悪魔、そんなものは二次元のセカイに存在して、現実には一切存在しない!
固定の真理に撞着している人は、まさに自己撞着している。一個の見方しかしないから問題の複雑さや、他者との差異、そういった物事を上手く捉えられることができない。だから病むんです。」


ーーー・・・すべてを批判する貴官は”何に依って”そういうことを発言していらっしゃるんですか。


「さあ・・・なんでしょうね(笑)
ただ弁明しておきたいことは、私は決して、否定的な精神の持ち主ではないということです。
”踊っているだけ”。”踊らされているだけ”。ただそれだけのことかもしれない・・・」


Re: ”Dansuer” ( No.232 )
日時: 2015/04/10 18:18:18
名前: 少佐◆PmkXtdTtWWM ID:rfx8FfSs

『少佐のA.B.C.D.E.....』


D-2 まやかし的なディファレンス


「・・・ニーチェは神の概念を殺し、フーコーは人間の概念を殺した。
前者は、神とは力のない弱い者が、まともに戦っては強い者に勝てないため、”道徳”で精神的に、頭の中で勝とうとするために拵えた装置であって、真理ではないことを暴き、後者は、”人間”とは十八世紀・・・近代の高度に発達した科学技術を得た西欧人が、未開人との差異を得るために、自らの拠り所とした、欠陥的な発明品であると暴き、20世紀後期の発展途上国が高度な進歩を継げる中、行き詰った西洋諸国が落ちぶれていく要因として、その終焉の始まりを宣告した。
彼らの主張を経た私たちにはいったい何が残っているのでしょうか。
それは、生きることがまったく意味を持たない。そんな生き方こそがこれからは生の”意味”となるのだ、と私は考えています。」


ーーー非常にシニカルな結論ですね、何かすべてを諦めて受け入れているというか・・・


「別に諦めてはいませんよ。ただ、神や真理、固有の考え方をふり捨てて生きるには、そういう生き方でしか生きれない時代というのかな。前提がありませんからね、不安でどうしょうもない。けれどもそれは、悲劇的なことではなくて歓喜的なことなのです。
信仰する人間、あんなものを『信仰している人間』は依存的な人間であり、自らを一つの目標として打ち立てることが出来ない。」


ーーー貴官が哲学に強く惹かれるのはそういうことかもしれませんね、フーコーの未完に終わった、『性の歴史U』の序文で『―すでに知っていることを正当化するのではなく、別の仕方で考えることが、いかに、どこまで可能なのかと知る試みに哲学が存立していないとすれば、哲学とはいったい何であろうか?』という文章がありますが、貴官の言っていることに少し似ている。


「その序文で書かれている”哲学”を”小説”に換言すればそうかもしれないですね。
私が嫌いなのは物事を単純な思考形式で捉えること・・・○上彰とか大嫌いです。自分の意見や考えを言わずに、まるで他人事、全体を見ているような視点で語っているクソ野郎です。大衆的な知識人?ふざけるな、知識人が大衆の立場にたって同じように物事を考えてどうする?
小説を語っている人も、作者/読者、一人称/三人称や単純なことを繰り返している人がいますよね、二項対立的に物を考えるのは悪癖だなあ。だから私は作者と読者との断絶に”小説の構造”、一人称と三人称の断絶に”自由間接話法”という概念を提唱しました。まあ、理解を示してくれる人はいると思いますが、理解をしてくれる人はいないと思います(笑)」


ーーー貴官とお話しして私は、コミュニケーションというのは”そうではないのか”と強く思いました。人を理解するって本当は考える以上に難しい事なんですね。理解は示せるが理解はできない。小説も同じように、読むという営みは本当は難しい事なんですね。


「ヤー、まさにそうです。作品の親である小説家自身が自分の作品について、何も理解していない、もしくはその意義について、良く分かっていないことが実に多い。だから私は抗する、自分の殻にこもり、自我に拠り所を求めるそんな現代人的な病からの逃走線を描くには、これが一番手っ取り早い方法です。
真理はどこにあるのでしょうか?本の中か、本を書いた作家の人生の中か?」


ーーー・・・両方ではないのでしょうか?どうして選ばなければいけないのですか?


「そうでしょうね。汎用論者の言うことは彼の戦勝結果を見て正しいとされるように、哲学者の言うことは彼の経緯、人生によって確かめられた時にこそ、信じるべきでしょう。しかし、繰り返し言う通り、物事はもっと複雑ですよ、いつもとは言いませんがね。
そういった複雑な事に立ち向かう勇気というか、蛮勇というか、悩ましい思考について、私は小説の中で自我を殺すしかないと結論しています。
書評とかもそうでしょう。書評が下手な、書けない人間は、ちゃんと読んでいないから書けないのではなく、自分しか愛していない作家であるから書けないんです。」


ーーー興味深い考察ですね、現代社会を覆う不安について、何か接点があるような気がします。


「”接点”ではなく”そのもの”ではないのでしょうか?
心を癒し、人間的な愛が何年も、何十年もかけています。この欠落が今の不条理な孤独をもたらしている。

あるものは、PC画面の向こうのセカイに拠り所を手に入れて、果てない妄想を暴走させ、次元の狭間を彷徨い歩く。
あるものは、金銭にすべての価値を当てはめ、破産と綱渡りをしながらつまらない生を消尽する。
あるものは、自分自身をも愛することが出来ないあまり、隣人に狂刃を差し向け、弱い幼子を自らの慰め者にする。
あるものは、プラズマ団のような新興宗教にその意義を見出し、自分自身を信用することを捨て、へんてこなオカルトに耽溺する。
あるものは、ナショナリズムや、マルクス主義などの、大衆的なイデオロギーに解決法を求め、孤立した孤独をさらに深める。

・・・人間関係のなかで残っているものは、もはや心に傷を負わせる要因でしかない。そうしたことすべてが最悪で、ただ一つあるのは・・・・・必然という正当性だけ。
だから、私は抗し戦う。愛するということは、大切なものを増やすのではなく、自分の大切なものを大切な誰かに捧げることなんです。」


ーーーなるほど。

・・・・・何だかへこんじゃいますね・・・貴官と話していると、私の今までの人生、ずーと損していたような気分になりますよ(笑)


「それこそ考えすぎです(笑) 
・・・あと、これはどーでもいいことなんですけど・・・・・一流の編集者がフーコーを愛読しているのは”できすぎ”なお話でしょう(笑)」


ーーーふふっ・・・そうですか(笑)


Re: ”エップリズメント” ( No.233 )
日時: 2015/04/12 00:00:04
名前: 少佐◆PmkXtdTtWWM ID:rGUExuuA

『少佐のA.B.C.D.E.....』


「消尽したもの、それは眼を見開いたものである。」

―――ジル・ドゥルーズ:『消尽したもの』P39


E-1 すべては”何か”を終わらせるために


ーーーさて、長々と続いたこのインタビューも最後の頭文字になりました。少佐が選んだのは”エップリズメント(=消尽)”これはどういう意味でしょうか?


「”エップリズメント”というのは日本語で”消尽”という意味に当てはまるフランス語の名詞ですね、そのままフランス語で打つと文字化けするので、片仮名表記にしました(笑)
エンディングとか、エンドという言葉にしようかと迷いましたがあえて、”消尽”にします。ドゥルーズ先生は死ぬ四年前に、『消尽したもの』という小著を書きました。内容はベケットという日本ではマイナーな劇作家に関する考察で、そんなに面白い内容ではないですね(笑)
この小著で、ドゥルーズ先生は”疲れること”と”尽きること”を区別することから始める。前者は、様々な可能性を持ちながら実現できない状態をさし、かたや後者は可能性自体が尽きること、つまり、本当の終わりをさす。ベケットの仕事はこの終わらせる技術の徹底的な追及に他ならない、とドゥルーズ先生は高らかに宣言する。」


ーーー少佐もそれに倣って、自分の可能性を終わらせようとしているのですか?


「鋭いですね・・・
最近、私が小説のさまざまな可能性を試行して挑んでいるのは、そういうことなんです。
私の趣味がふんだんに織り交ぜられた『ムロ大激戦! ジャック・デリダ教授現る!!』や『戦え!三文ライター!!』。
コンピューター言語と小説の形式を混ぜご飯して書いた、『〈Spring of Absolute/〉』。
現在執筆中の小説板の表現の限界線に挑戦している、愛国と自我に苛まれて、思い悩む少女兵を描いた『The eye of the Bendis.』。

すべては”何か”を終わらせるために出発する。小説もそうですし、生きるということもそうでしょう。フィクション、物語としての宿命だなあ・・・・・
私の場合は『諸君、私はランダムマッチが好きだ』の完成をもって筆をおきたいと、以前から戦友のさばねこさんに話しています。あれは私のスタートであり、ゴールなのです。最高傑作にしなくてどうする、流産なんて、作家として名倒れですよ。」


ーーー今のところ、貴官が一番気に入っている作品って何ですか?


「ふふっ、そうですね・・・・・アブソルの話しかな、あれは執筆の準備にものすごい時間をかけた話で、二月の後半と三月の全部の時間を費やして書きました。
『<null> わたし </null>』という部分が少佐さんらしくって良かったですよ〜とksksさんがコメントくれたり、ヒガンバナさんが『おそらく、大抵の人間には真似することが出来ない作品。』と最高の賛辞をくれて、とても嬉しかった(笑)時間かけて考えて良かったなァ、と賢者モードに入りましたよ。
メノコが主役の『怪談大会』も結構気にっていますし・・・・・なんだろう(笑)
読者アンケートを取れば分かると思いますが、たぶん票が集まらないでしょうね(笑) もう二度とやらない!」


ーーー・・・いつまで根に持っているんですか(笑)
では、最後に、少佐にとって”小説を書く”ということは、どういうことですか?


「そうですね・・・・・簡単にいうことはできませんが、ドゥルーズ先生に倣って『自分が今、考えていることをまとめる』とでも言っておきましょうか。
大まかに幼児期から大人にかけての言語活動というのは、聞くこと→読むこと→書くこと、という風に追えると思います。つまり、ちゃんと聞けないという人は、ちゃんと読めない。ちゃんと読めない人は、ちゃんと書くことなんて那由他彼方にまで、その可能性はぶっとんでいるということです。物事の順序を大切にしない人が増えて来て、こういう簡単なことが蔑にされてきている。土台はやっぱり強固なモノでないと、先行きが不安定だ(笑)
つまり、書くということはそういう難しい事なんです。私は残りの作品の中でそう宣言したい。そして、読者諸君には本屋に出向いて紙の本を読んでほしいですね。本は面白い、最高の玩具です(笑) 五千円ほどのゲームは一年くらいで飽きちゃいますが、同じ投資を良書にかけると、一生楽しめます。世界観が広がりますし、本の数だけ思想があり、意見がある。情報化が進み、玉石混合の膨大な量の中から如何にして石を掻き分け、玉を見つけ出すか。人間の処理能力が試されている。
ドゥルーズ先生の『哲学とは何か』で語られている「カオスから”脳”を生み出す作業」は、科学や、高度な言語表現としての哲学、表現の臨界としての芸術、の三つの軸、三次元体で表象することが出来るという水準でのみ思考が歩む新しい地平、条理空間ではなく、平滑空間が・・・」


ーーー日本語でお願いします(笑)


「(笑) まあ、要を言えば私たちは、一定の何かが規定する以上に柔軟に物事が考えられる可能性を秘めていること。優れた哲学がそう教えてくれてますし、面白いSFがその可能性を提示してくれている。小説に終わりない。信じようじゃないか、小説の力を!みたいな(笑)
私の小説がその最初の狼煙であれば結構なことでしょうし、均質化するサブカルチャーに何か楔を打ち込むことが出来れば幸いです。」


ーーー本日は、ありがとうございました。今後の執筆活動を楽しみにしております(笑)


「こちらこそ、とても有意な時間でした。長い間、狂人の戯言にお付き合いくださいまして、誠にありがとうございます(笑)」






・編集後記



 三文ライターか、それとも日曜哲学者か・・・・・この男には、どうもそのような簡単な区間切りは通じないと思われる。いわば、一切を語りながら沈黙しているのだ。沈黙が何かを意味するように。
著書の巻頭にある彼の写真を見てほしい。ひとたび見れば、忘れられないようなスキンヘッドの三文ライターである。まるで哲学者にとって欠かせない『頭』そのものが存在化した相貌の人・・・・・もっとも、若いころから髪の毛が少ないと嘆いている彼ではあるが(笑)
自分の小説や同時代を生きる他の小説家の小説、書評について熱く語り、現代社会を覆うまやかし的な言説を強く批判する彼のポジションはなかなか理解されないと思う。一部の人間からは危険とみなされ、かたや狂人と呼ばれる。しかし、誤解されない人物など、薬にも毒にもならないのだ。そういうつまらない人は、何か人間の条件に於いて欠けているものがある。
それは作家の個性なのか、剥き出しにされた裸の鋭い感性なのか・・・出版社で、編集を辛うじて務めるだけにしか能がない私にはよくわからないが、これを読んでいる読者諸君の胸にはその答えがあると思う。彼に倣って考えてみよう、思考することは限りなく喜びに満ちた生であると。


ミアレ出版編集者:ピエール・シェーンベルク

Re: 『C/M』 ( No.234 )
日時: 2015/06/02 08:08:09
名前: 少佐◆PmkXtdTtWWM ID:FHKOi6ds

『C/M』


1-1 会長の小説について――バフチンの『対話』の哲学から読み解く。


――ある早朝のミアレシティのカフェにて、サーナイトとの対話――


サナ「しかし、少佐。ササミさんの『お酒の飲む量は計画的に』の回が、バフチンの言う”カーニヴァル”という概念にぴったりだというのは、少々強引な我田引水ではないでしょうか?あの話はお祭り騒ぎ、というよりも”祭りの後”という方が適切なのではないかと私は考えます。」


少佐「いやいや、サナ。君は、恐らく”カーニヴァル”と”カーニヴァル化”の概念を混ぜご飯していると思う。
まず、カーニヴァルそのものがあの話にある・・・というのは間違いで、あの話も実は”カーニヴァル化”された話の一つだ、ということを私は言いたいのだよ。」


サナ「そうでしょうか。私はどうもカーニヴァルとカーニヴァル化の違いがよく・・・」


少佐「そうだね、これはなかなか区別の難しい概念だと思うな。
カーニヴァルの中心をなすのが、”劇”であり、バフチンの言葉を借りれば、ドストエフスキーの掌編『ボボーク』の中に見られる”笑い”と”放埓”の比喩的だが、”地獄”が作動するポリフォニー論のような脚本それ自体が、そのカーニヴァルという概念のロジックだあると言えよう。」


サナ「すみません、少佐。『ボボーク』は読んだことがありません。今度書店に行ったときに買って読んでみようと思います。
私も演劇とササミさんの小説を絡めてみるのは、なかなかいいと思います。ですが、演劇とは戯曲であり、バフチンが対象としているのは近代欧州の文学であって、ドストエフスキーや、ラブレーのような前近代的な自我が高度に発達を遂げる近代社会と対決する、そのような話ばかりです。
このカーニヴァル化の概念を投入して彼の戯曲を読み解くのは、やっぱり無理があるのではないでしょうか?」


少佐「君も知っている通り、私は意地悪な捻くれた男でね、サナー。バフチンがやったことをそっくりそのままやるようじゃ、あの世で笑われると思っているんだよ(笑)
彼以上の事をして、初めて私は自分自身の事が出来ると考えている。
確かに、君の言う通り、彼が主題としていたのは近代欧州の文学に対する考察だ。カーニヴァル化はいわば、近代小説を近代小説足らしめている条件であると。確かに笑いと多重言語による作品の力動が上記のような小説に言えよう。
たとえば、『悪霊』の主人公であるスタヴローギンや悪役ピョートル、自殺志願者キリーロフetc・・・悪漢も道化も愚者も”笑いの俳優”というわけではなく、この世にいながら、その外にいる”異邦人”の眼を持つ者として近代的小説の作者たちのあり方に決定的な影響を与えたんだ。」


サナ「なるほど・・・一度には飲み込みがたい話ですが、時代によって作者の生き写しである、嫡出子、非嫡出子である作品が影響されている・・・いや違いますね、要請されているということですか。」


少佐「そうだ、そう言える。つまり、時代という軸を行き来しながら作品を読み解かなければいけない。2014年なんかに特徴的にみられるね、文化も小説板も実に実りのない空っぽなモノばかりが流行った。
ササミ会長の作品は大きく分けて、二つの流れが見て取れよう。五世代が軸の戦闘が主な初期の作品群。そして、内的な、心理描写に力が入っている後期の作品群。以下、本批評では、後者を取り上げて分析してみる。」


サナ「二レスで八百レスの小説を語るのは無理がありますからね(笑)
あ、ところで少佐。先ほど”多重言語”ということを述べられましたが・・・」


少佐「端的に述べると、それは”対話”の一種であるといえる。
たとえば、そうだね。私がドストエフスキーや絶対零度先生、伊藤計劃やドゥルーズから影響を受けた時に、彼らとは外的には対話をしていないけど、内的には対話をしているということが理解できると思う。
バフチンによれば、この多重言語とは”見えざる内的対話”だということ・・・近代小説の成立に多重言語が深くかかわるとバフチンが述べるときには、こうした見えざる対話をかわす、言語の違う異質者・・・他者のようなキャラを作家が念頭に置いて重要視する。
バフチンが描き出したドストエフスキーの「ポリフォニー小説」の世界のように、私も最愛の会長へ、感謝の情をこめて描いてやる!と今構想しているんだ。」





 と、その時、どこかでクスリと小さく笑う声が聞えた。辺りを注意深く見渡してみると、会社員らしき涼しそうなクールビズを着た男が会計を済ませて雑踏の中に消えていった。
これはまるで『ボボーク』のようだ・・・と思った瞬間、会員の私は我に返った。

Re: 『C/M』 ( No.235 )
日時: 2015/06/07 02:02:22
名前: 少佐◆PmkXtdTtWWM ID:jeR7XYPs

『C/M』


1-2 会長の小説について――バフチンの『対話』の哲学から読み解く

「カーニヴァル的なイメージは、自らのうちに、生成の両極、対照法の両項、たとえば、誕生と死、若きと老い、上と下、顔と尻、賞賛と罵倒、肯定と否定、悲劇的なものと喜劇的なものなどを、包含して接合する。」

『現代思想の冒険者たち バフチン:対話とカーニヴァル』北岡誠司(P319)


 いつまでも取ろうとしていて、いつまでも筆を取らなかった小説家。それが、私が愛するコジョンド大好き倶楽部の会長、ササミさんである。『人はつねに愛するものについて語りそこなう』――フランスの批評家ロラン・バルトは事故死する直前に、イタリア ミラノのスタンダール学会で発表するはずだった論文の題名にこう掲げた。別に言い訳をしているわけではない。ルネ・ジラール風に言えばそれは「ロマネスクな嘘」である。迂回しなければエクリチュールの読解などできはしない。

 ここで実行するのは“批評(=criticism)”ではなく、“臨床(=clinical)”である。ジョイスを論じるラカン曰く、「それ(=錯乱)は残余を残す病状が、ジョイスが行う特異的なエクリチュールによって、つまり、“サントーム”(仏:sinthome=病状の古い表現、ラカンは『セミネールXXIII:サントーム』の中で、それを享楽もしくは現実的無意識、または“大文字のシニフィアン”の観点から捉えようとした。)によって、終結するものではない」と言ってはいない。病状とは恐らく――いや、多少なりに賭けてもいいが――創作によって終結する。この立場は、彼という特異性の終わりなき運動としてのプロセス、境界線、逃走線である。
 加えて私は、彼が台本小説とその可能性について、並一通りではない情熱をもっていることを知っている。それこそが、彼とごまんといる平凡な台本小説家とを線引く大きな差異であると思う。

 ここで取り上げる症例は、2015年7月に小説板短編集へ寄稿された『死にたがりな青年』である。この作品には彼の小説観、小説の特徴及び主要なテーマが全て揃った百科事典のような味わいがある。しかし、「人を愛することを忘れる。そうすると次には、自分の中にも愛する価値があることすら忘れてしまい、自分すら愛さなくなる。こうして人間であることを終えてしまう。」と、冒頭から読者を挑発する姿勢は、今までの作品とは異なり、独特の位置づけと彼の意気込みが感じられよう。
 
 「内容についてはお任せします。その代わり、私の残りの寿命全てを奪って下さい」――青年は死を求め、シオンタワーの最上階に赴き、夢の売人ゲンガーに対して、対価である自身の寿命を全て叩くをいう。しかし、ゲンガーは青年の要求を拒否し、これを退け、青年は彼女に励まされる形で去り、そして、新たな展開としてこの物語の続き(青年のゲンガーへの告白)が予告され、言葉は結ばれる。私はこの内容と結末に、ある種の文学的雑感というものを覚えてしまう。

 たとえばドストエフスキーの『悪霊』における自殺論者キリーロフ。この世の何もかもがどうでもよいという、圧倒的な虚無感に行きつき、自殺を決意した男である。キリーロフは、神がいなければ自分が神であるという、いわゆる人神論者でもあり、その証明に自殺をしてみるのだが、本作品の青年は、ひょんなことから自殺を免れる。ここにおける差異は、他者とのコミュニケーションである。青年は夢の売人ゲンガーとぎこちない対話を行っている。ストーリーはこれの一篇調子であるのだが、結末から言えば、この幽霊が彼を救うのである。死が生を躍起付けるとは、まさに皮肉であろう。反対にキリーロフは、少ない友人はいるものの、世間から孤立し、自己愛のみが増殖した典型的な引きこもりである。彼は顔をずっと過去に向けられているが、私たちの眼には出来事の連鎖が立現れており、この刹那に、彼はただ一つの己の破局を見るのだ。視点人物であるということは、別の観点(=ゲンガー)からいえば、その人物が内面性を持ちその内面性を読者が追うことであり、視点を持たないということは、外部からもっぱら描かれ、内面性を追うことはできないということである。

 彼は何を恐れているのだろうか。それは”ある生き物”である。“その生き物”は全く人畜無害で、眼で見ただけなら、ほとんど気が付かず、すぐに忘れてしまう。だが、それが目に見えないうちにどういうわけか耳の中に入り、大きくなり、孵化して、場合によっては脳内に入り込み、犬の鼻から侵入する肺炎双球菌のように、脳内で大繁殖する。脳はいつかその能力を“その生き物”に押しつぶされるであろう――お分かりの通り、“その生き物”とは<隣人>のことである。

 人は正確に見ようとすれば、生きる方が不確かになり、充分に生きようとすれば物事を曖昧に見てしまう。辺りに何も見えず、何もわからず、何も感じられない。そんな人間でも具体的な行動を起こすことがあるのか――私が思うにそのような状況に陥った人間にできるのは、記号や信号に反応することである。まさにそれこそこの作品が描いた青年に他ならない。

 彼は自分が充分に孤独であると思っている。しかし、彼は実際には、人々と共にいなければ孤独ではない。人は皆そうである。誰も孤独を、ハリコフを必死に死守するも、結局は奪還されてしまったドイツ軍 南方集団のように守れないのである。逆説的に言えば、人中に孤独を晒し、方々に風穴を開けられることでそれは守られ、そして蹂躙される。

 夜も昼も、常に人間が卑怯者になる時間がある。私は――そしておそらく彼も――その時間だけが恐ろしい。

 生と対立する認識ではなく、生を肯定するであろう、ある一つの思考。生は思考の能動的な力ではあるが、それは同時に肯定的力能と呼んでよいであろう。思考することは、生の新たな可能性を発見し、発明することを意味する。喜びを新たにするには悲しみが必要なのであり、そして、信用を新たにするには懐疑が必要なのである。ある一つの臨床例としてこの告白文学のような作品は、そう位置付けられよう。

Re: 『C/M』 ( No.236 )
日時: 2015/07/03 15:00:01
名前: 少佐◆PmkXtdTtWWM ID:9ucq2MLY

『C/M』


2-1 水都の技法:空間イメージ


 チェンバロから始まり、アコーディオンに続き、そして終わる、軽快な、そして重々しい鍵盤楽器の音色に組み重なる映画の長い振動。そこには、いくらかの”永遠なる海”が表すアルトマーレの街並みの風景、あるいはあの水都という場所、建造物を前にしたカメラの動きと停止が見える。


 『劇場版ポケットモンスター 水の都の護神 ラティアスとラティオス』(2002)は(以下、『水都』と略)、私が今日までにいろいろと観てきた映画の中で間違いなく、五本の指に入る傑作である。それは幼い私が初めて映画館で映画を観たという出来事、俗にいう”思い出補正”が掛けられて得点が上昇した、というのではなく、ラティアスたちや都市の景観など、そして何よりもテーマが見事に調和して、幼心ながら美しいと感動したからである。つまらない理屈抜きの、身震いするほど甘美な錯覚が確かにあるのだ。

――そもそも”映画”とは何か?
 最近優れた邦訳が出た、『カイエ・デュ・シネマ』の編集を長らく務めたアンドレ・バザンの『映画とは何か』を引用して語るのもいいが、フランス人らしい富んだ表現が効きすぎているので、方法論としてはふさわしくない。したがって、ここでは、マイケル・ダイアンとメリッサ・レノスが著した『AN Introduction to Film Analysis』に依拠してみよう。彼ら曰く――『映画とは技巧と意味との結婚である。』(P6)と定義されている。セットを作り、俳優や女優に演技の細かい指示をし、カメラの位置を決めて撮影した大量のショットを編集するとき、映画製作者は単に物語を語っているのではなく”意味”を作っている。
 なるほど、映画と小説は似ている。私たち小説家は確かに小説に”意味”を込めて書いている。勿論、そんな大切なことを微塵も考えずに、ただただ萌豚どもに媚を売り続け、ブックマークだけを唯一の信条にしているピクシブのような書き手や、スレを乱立しチープな醜い小説モドキを書き続けるような人がいるが、それは早計、似非文学に過ぎず、日付が変われば弾劾されるであろう。

 嘆きを抑え、ふと映画と小説を並列して考えてみると、意味を表現する場合、映画の方に少し分があると思う。それは単に文章の難解さがフィルム編集に劣るからではなく、単純に考えて、映像を読むことの方が文章を読むことよりも幾分か簡単であるからだ。文章を読む場合、読者諸君は自分のペースで読まなければならないしけっこう時間がかかる。それに比べて映像は常に一定のペースで流れ、あの明るさから暗くなる瞬間に私たちは日常から映画の世界へ飛び込むように背中をセワセワと押されている。その時、両者は確かにある一定の訓練を積まなければ深く読むことが出来まいことは皆了解している。ただ、学術的な論文を読む訓練と『プライベート・ライアン』(1998)を観て何を考えるかは雲泥の差がある。その差は訓練の強度の差異と私は考える。
 しかし、批評において両者の境界は破壊される。自分の知らないこと、あるいは適切には知っていないことについて書くのではないとしたら、いったいどのようにして書けば良いのだろうか。まさに、知らないことにおいてこそ、必ずや言うべきことがあると言えないだろうか。

 小説も映画も共通して訴えるのは、どこかの誰かに向けてのメッセージである。つまり、それに私たちが気づくかどうかが問題なのだ。駄作とか良作の垣根を私はとやかく言いたくはない。本質的な問題とは、内ではなく外に存在している。濃厚だが漠然とした感想を越えて、テクストに向けてブラッシュアップをここでは論じて行きたい。
 加えて、どんな映画にも多重的な意味が存在している。たとえば、人格や人間性を失い、無名の職員として生きるか、利他的な倫理に重きを置くか、という決断に悩む主人公を描いた『フィクサー』(2007)からは経済的なテーマを扱っているのだなという見方もできるし、ジェンダー・アイデンティティの問題を取り扱っているのだというと見方もできよう。切り口として何を見るかなのだ。

 以下、私は映画について、上記に見た問題と構造的な問題を分析してみる。それは大きく分けて三つに区切られ、それぞれ『空間イメージ』と『時間イメージ』、『運動イメージ』と呼ぼう。結論から言えば、”空間と時間は強い相関-関係にある”ということである。映像において空間を操作すれば時間に影響が与えられ、逆に言えば編集の段階で時間を操作するとき、それは自動的に空間へ作用している。まさに運動を支配するその力学関係のプロセス、軌跡線が映画であると言っていいだろう。

 あらゆる運動が躍動し時間を伴う時、それは必然的に空間を創造する。これこそ他の芸術が未だできず、そして表現できない臨界なのである。音楽は雑音と化し、絵画はイラストという陳腐なものに加虐され死に絶え、小説は読者の面をした無知な愚者どもに跋扈、蹂躙され尽くし、まともな創作者ならもう諦めている頃合いである。しかし、私たち人間が空間や時間を体験する時のあの感覚を、まざまざと呼び覚まし、呼び起こす作用を映画は持っているのだ。

さて、それでは『水都』の街並みを、比較的長いショットで観て行こうか。

Re: 『C/M』 ( No.237 )
日時: 2015/07/18 18:18:45
名前: 少佐◆PmkXtdTtWWM ID:RBfE9TSw

『C/M』


2-2 水都の技法:空間イメージ


「現代的な事態とは、われわれがもはやこの世界を信じていないということだ。われわれは、自分に起きる出来事さえも、愛や死も、まるでそれらが半分しか自分に関わりがないかのように、信じていない。映画を作るのは私たちではなく、世界のほうが悪質な映画として私たちの前に現れるのだ。『はなればなれに』でゴダールは言っていたものだ。
「現実的なのは人々であり、世界は離れ離れになっている。世界の方が映画で出来ている。同期化されていないのは世界である。人々は正しく、真実であり、人生を代表している。彼らは単純な物語を生きる。彼らの周りの世界は、悪しきシナリオを生きているのだ。」
引き裂かれるのは、人間と世界の絆である。そうならば、この絆こそが”信”の対象でなければならない。それは信仰においてしか取り戻すことのできない不可能なものである。信頼はもはや別の世界、あるいは変化した世界に向けられるのではない。人間は純粋な光学的音声的状況の中にいるようにして、世界の中にいる。人間から剥奪された反応は、ただ信頼によってのみ取返しがつく。ただ世界への信頼だけが、人間を、自分が見か聞いているものに結びつける。
“映画は世界を撮影するのではなく、この世界への信を、われわれの唯一の絆を撮影しなくてはならない”。」

ジル・ドゥルーズ:『シネマU*時間イメージ』(P239-240) 強調は引用者(筆者)


物語はかつての神話から始まる。古の時代、アルトマーレという街に老夫婦が住んでいた。彼らはある時、浜辺で傷ついた兄妹を見つけ、手当てをする。数日後、突然、闇の怪物が街を襲い、猛威を振るうものの、彼ら兄妹が本当の姿(ラティオスとラティアス)に変化して、仲間たちを呼び、それは撃退される。そして”心のしずく”という宝物を、自分たちを助けてくれた心優しい老夫婦に託し、以降、この街はラティオスとラティアスたちが行き交う場所になったという。

 さて、旅を続けるサトシ達は、このアルトマーレを訪れ、サトシとカスミは、名物「水上レース」に参加する。レース後に街を観光をしていると、サトシは一人の少女が襲われているところに遭遇し、助けている途中ではぐれてしまうが、博物館で再び姿を見かけ追いかける。不思議な壁を通り抜けた先の庭園で、その少女は伝説のポケモン――ラティアスが変身していたと判明する。ラティアスが姿を借りていた少女カノンと、その祖父ボンゴレに、この町に伝わる御伽話を聞かされると、サトシはこの町に忍び寄る不穏を感じ取る。その裏では怪盗姉妹のザンナーとリオンが悪事を企てているのだった――
 ・・・まあ、有名な作品ので、あらすじは紹介するまでもない。紙面も限られているので、先に述べた運動と時間が交錯するイメージ、つまり空間を創造するシーンをみていこう。

 特徴的なシーンがある。それはラティアスが、裏路地をサトシを秘密の庭に導くあのシーンだ。私はこのシーンに作品のすべてが表現されていると思う。迷うサトシの視線に呼応したカメラワーク。石造りの壁や住居に彼女の姿は遮られ、光が残した残像をひたすら追っている。そして、街の喧騒の中に自分の道を見つけるのではなく、誰の目も気にしなくていい、ひっそりとした通りの奥深くに彼は彼女に誘われていく。散策や遊歩だけを目的にぶらついていくのだ。この運動に伴う時間は、アコーディオンのあの美しい音色。運動の行く道が制限され、競い合うイントロの水上レースとは全く対照的なシーンである。そう、運動が彷徨する時に時間の蝶番は外れ、空間は充足するのである。

 同じようなことが水にも言える。この作品において水はどんな役割を果たすのだろうか。タレスいわく、水とは変化である。それを敷衍して考えてみると、水の流れの浸透に強く刻印された領土としてのアルトマーレとは、永遠、すなわち生成変化の事を指しているのではないか。私たちは、永遠とは手に届かない、どこか遠い場所のことを意味しているのではないかと考えがちであるが、それは全くの誤りであり、キリスト教的な思考法、形而上学的なまどろみに縛られている証拠でもある。

 永遠の諸相とは、私たちの身近にある”変化”を示す。経験の領野を越え、違うやり方で出来事を思考する力こそ、無限性であるのだ。


このようにして時間は空虚、虚無に成り果て、すべては破局として迎えられ、反復の逆流の道を勢いよく辿り、非現実的な死及び死者と一体となるであろう。確かに起源との接触は出来よう。しかし、このような時間の進路方向(=sens=意味)、すなわち、先ほど述べた水都に漂い、そして謳うアコーディオンのリトルネロが今まさに領土と化し、ついで、おびただしく脱-領土化するその軌跡そのものに含まれているのである。内部から静かに、そして力強く作動するこの脱-領土化のベクトル――リトルネロとはまさに時間の差異(ディファレンス)、時間の迷宮(ラビリンス)なのである。
 この恐ろしい袋小路に道はあるのか?音声的なもの(=リトルネロとしてのアコーディオンの音色、時間イメージ)が視覚的なもの(=空間としての水都の景観、運動イメージ)と〈無限遠点〉で触れる場所――それが空間イメージなのである。物質には眼がある、私たちの内なるものを見る視点が存在する。このマテリアルはどこで終わり、感覚がどこから始まるのか。解はラストのあの口づけにある。人称を失い、フォルムとフォルスが収斂するあの場。まさに街が空間を吐き出したと表現しても良いだろう。

 そう、重要なのは、どう始めるかではなく、どう終わらせるのか、どう終わるのかである。この映画が神話から始まるのも納得がいく。そうだ、主演女優であるラティアスの思いは意味を無く(亡く)しているのだ。その思いは風に吹かれ、波に流されてしまい、新しい曙光を待たねばならないであろう。果て無く続く時間の螺旋が、運動の軌跡と交わることを、空間を創造するという言葉を用いても許されるのであれば、それ自体、n個の、もしくはn+1個の広がりや重なり、もしくは分化(=differentiation)か微分(=differential)を導き、差異(=difference)と、そして、やがては反復を目指すであろう。それこそ、彼女の心が描き出す現実に立ち向かうための関数(function)なのである。物語を飾るあの沈黙の口づけ。それこそ、あらゆる芸術の中で映画が最もクリエイティブに、重要かつ効果的に使われてきた表現である。

 大空を行き交い、微風に誘われるが如く街を目指すラティオス、ラティアスたちが意味をもたらすのは、“END”ではない。そうではなく、海とフィルムの彼方に、アニメーションで表現された最も美しい瞬間の浮上のことをさしているのではないだろうか。だからこそ、この映画は他のポケモン映画よりも素晴らしく、そして正しく壮美なのである。

Re: 『C/M』 ( No.238 )
日時: 2015/08/06 05:05:06
名前: 少佐◆PmkXtdTtWWM ID:3IOJk7Zc

『C/M』


3-1 DJ☆緑茶のオールナイト★イッシュ




緑茶「時刻は午前3時...5分になるところです。ヒウンシティ ペンドラー街の第六スタジオから生放送でお送りしています、DJ緑茶のオールナイト★イッシュ!
あらためまして、こんばんは〜 パーソナリティーのDJ緑茶です。本日も5時までお付き合いの程よろしくお願いします。

今夜は素敵なゲストの方をお招きしています――この人抜きで小説板は語れない!小説板四天王の一人、三文ライターの少佐さんですっ!!」パチパチ

少佐「・・・えぇ、これもう始まっているカンジですか?あ・・・こんばんわ、えーこんな時間まで夜更かししているイッシュの悪い子たち含め、リスナーの諸君。素晴らしい言葉を頂戴いたしましてお漏らし寸前の少佐です。」ペコリ

緑茶「wwwww まあまあ、そんなに緊張しないでくださいよ。少佐さん。ちなみにこれ、生放送ですから編集できません(笑)」

少佐「生放送で良く私を呼びましたね、放送禁止用語を息を吸うように吐くような人間なのに(笑)」ハハッハ

緑茶「局のお偉いさんと大分もめましたよ。『クレーム来たらどうするんだ!?』とか『変態ポケモナー野郎を出演させると放倫がうるさいんだ!』とか(笑)
自重してくださいね、憲兵さんが駐車場で待機していますから(笑)」ニッコリ

少佐「こいつは参ったなァ。さてさて、どうしましょうかな?」ウーム

緑茶「えーと、では早速リスナーの皆さんからいただいたお便りでも紹介しましょうか。
ラジオネーム・ブルボン中毒さん『こんばんわ!緑茶さん、少佐さん。いつも楽しく子守唄代わりに聴かせていただいています。
少佐さんに質問したいんですけど、ポケパルレのしすぎで3DSが一台、まったくタッチが効かなくなったって本当ですか?』」チラッ

少佐「誰からそんなことを聞いたんですか、このリスナーくん。まー・・・事実ですね(汗)」キリッ

緑茶「こ れ は ヒ ド イ www。
私も長いような短いような・・・少佐さんと付き合ってきましたが、パルレ以外でもこの人に共通していえることが”ヤリすぎる”という点ですね。」ウンウン

少佐「限度を弁えないのが信条ですからね・・・(笑)」

緑茶「少佐さんが4月に上梓した『緑茶論』は、正直言って度胆を抜かれました。内容もそうですが分量がもの凄い(笑)」

少佐「『緑茶論』は私が書いた本の中で一番売れましたね(笑) 緑茶さんにはとても感謝しています。おかげで事務所を増築する予算が確保できました」フフッ

緑茶「AmaZoonのレビューで見ましたが、『―”入門書”と謳いながら”研究書”を提出したこの悪しき三文ライターは―』ってコメントが一番受けましたね、これが入門書なのは至極おかしいのはごもっともです。
しょ少佐さん!そんなに深く考えてませんよ(笑)」

少佐「そんなことないと思いますよ。緑茶さんの思考の軌跡を描けたなら私は本望ですし、漸近線に近づけた、と確信しています。
思うに小説にしろ、哲学にしろ、映画にしろ、批評で一番大切なことは作者の思考を捉えるのではなく、展開する軌道線、点の集合でもいいですが・・・を描くことだと思います。単にここが面白かったとか、下手くそだとか、これは唯一無二の作品であるとか・・・そういう感傷的で自己撞着的な批評は排すべき対象でしょう。作品の美しい景観を殺している、そういっても過言ではないです。」

緑茶「なるほど。だからこそ少佐さんの批評の特徴は、読み手という視点でありながら、作者以上に作品に通じているというか何というか・・・いわば、貴官が尊敬してやまないドゥルーズという哲学者の読解から育まれた少佐さん自身の哲学なわけですか。」

少佐「ヤー、まあそういうことでしょうね(笑) ドゥルーズ先生を読んでなきゃこんなこと考えもしませんよ。」

緑茶「少佐さんは良く私の作品に言及するときに『ドゥルーズがどうのこうの』と絡み合わせますよね?あれのせいでドゥルーズをちらりと調べてみましたが、相当難しい哲学者ですよ、彼(笑) 良くこんな難しい本を読めますよねェ・・・だいたい月に何冊ぐらい読まれているんですか?」

少佐「うーんん。さー、はぐらかすわけではないですけど数えてませんね(笑) そうだな・・・週5冊で1か月で20冊ぐらい・・・」ウーム

緑茶「ヒャー、よくそんなに読めますね。速読とかですか?」

少佐「いや、そんな特殊なスキルはないです。それに速読は味気ないですよ(笑) ゆっくり読めばおのずとペースは上がりますし、本に直接書きこんでいるから読書ノートを拵えて読んでいる人よりも早いのは確かです(笑)
・・・緑茶さんはどうですか?」チラート

緑茶「え?私ですか・・・そ、そうだなァ・・・最近『艦これ』に勤しんでいまして・・・」アオバチャン カワイイ ///

少佐「wwwwwwwwww」

緑茶「笑わないでくださいよw 
・・・さて、ここで休憩がてらに一曲流しましょうか。えーと、少佐さんのリクエストで、この猛暑が続く夏にぴったりのパーティー★チェーン曲。ケツメイシで『RHYTHM OF SUN』です!!」



〜休憩中〜



緑茶「・・・ケツメイシで『RHYTHM OF SUN』でした〜
あらためましてこんばんは〜 DJ緑茶のオールナイト・イッシュ。今夜は素敵なゲストの方を招待しています、軍刑務所連行の件数は優に百を超える、三文ライターの少佐さんです。」

少佐「こんばんは〜少佐です。正確にいうと、本人の私も良く数えていません(笑)」

緑茶「wwwww
えー、さてさてここからはリスナーの方からの手紙ではなく、雑談みたいにしましょうか、少佐さんも少し緊張していらっしゃいますし、そうしましょう。(笑)
少佐さんは私の書き方について『小説を書くのではなく、描く』ということを『緑茶論』でおっしゃっていましたが、一読して私はまずそこが興味深いと思ったんですよ。こんなことを読者さん側から指摘されるなんて夢にも思わなかった(笑)」

少佐「でしょうね(笑) 私自身、『緑茶論』を満を期して執筆するにあたって、他の作家論のようにごくありふれた作家論には決してしたくなかったのが第一の目標です。それは緑茶さんを凡庸な作家に還元してしまう試みであり、私が愛する彼の作品世界をただの御伽草子のように掴んでしまうという愚行は絶対に避けなければいけないと心していました。愛する女性にサプライズをする時に、『デートの時にこんなことをする』というテンプレや台本は不必要でしょう?そういうのと同じです。
話をタッチに戻しましょう、貴官のイラストを拝見させていただきますと、実に線が多いのが特徴ですね。私は貴官が良くモチーフにしている『東方』というゲームを最初にきいたとき、映画の方の『東宝』かと勝手な妄想をしていました(笑)
勿論、女性というのは柔らかい線で描かれています。ティツィアーノやカバネルの絵画を見れば瞭然ですがここで注意して起きたいことは、絵画にしろ、イラストにしろ線が多くなることとは作品の、特に人物画の硬質化を招く・・・ということです。
線が重複すれば自ずと黒く染まるのが常です。陽陰影を意識して描けば問題ないですが、凡人にはできない。これのいい例がセザンヌという画家の絵ですね、風景や情景などを描くときには確かに美しい。しかし、人物画は最悪もいいところです(笑) まるで陶磁のお人形さんのように硬く、生きているという感覚を持ち合わせていない無機質な生が感じられます。
躍動と情動、そういった運動体としての芸術作品を定義することは、おおよその優れた芸術作品に共通している項や要素を探る。命題ではなく、要素群です。その中で〜略〜」

緑茶(・・・・・何を言っているんだろう、少佐ァ(汗))^^;




Re: 『C/M』 ( No.239 )
日時: 2015/08/06 06:06:07
名前: 少佐◆PmkXtdTtWWM ID:3IOJk7Zc

『C/M』


3-2 DJ☆緑茶のオールナイト★イッシュ



「―略― <何かが起こった>ということにする、この無とは一体なんだろうか?」

ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ:『千のプラトー』(P222)



少佐「最近の緑茶さんの執筆テーマは『夢』が多いような気がしますね。『マルチバトル リョクの旅』では終章を担っている『七夜の虚構』、短編スレに眼を移せば、七月の『電気羊は終わらない夢を見るか』、九月の『ナイトメア』・・・どれも秀作ぞろいで私は『夢の三部作』と名付けています。中でも面白いのは一番最後の『ナイトメア』ですね、他の二作はどこか、戦闘描写や冒険的な、いわば映画でたとえるならば『アクション系』に分類されるのに対して、『ナイトメア』は一人称の一人語り。アクション俳優とよく言われているリーアム・ニーソンがその前提を覆すために挑戦した『シンドラーのリスト』のような、演技派の味わいが濃ゆいと思うんですよ。
心という厄介な語らいに対して、夢という第二軸をもって奥行きのある表現に挑戦した貴官の姿勢は私は高く評価したいと思います。」

緑茶「ありがとうございます。少佐さんはどうでしょうか?
・・・私的な感覚で言うと、上手く言えませんが、なんか”頑固”になっているような気がしますね。たとえば、現在連載中の『C/M』ではこの少佐さんの姿勢は顕著に見えます。”作家とは何ぞや?”とか、”小説とは何ぞや?”とか、”映画とは何ぞや?”とか(笑)」

少佐「非常に面白い意見ですね(笑) 確かにそういう味わいが強い評論集が『C/M』かもしれません。
私自身、問いを建てて物事を考えるという風に書いています。すべてがすべて、系統だった一筋の”線”だとは言いませんが、そういうことに今はしておきましょう。
問題の問題とは、”問いをどう上手く建てるか”です。数学や幾何学、物理学なんかではそういう下ごしらえみたいなものは不必要なのかもしれませんが、私が相手にしているのは人文諸科学。哲学を含めて文学や美学などが主な対象です。どう彼らとやり合えば良いのやら、開幕早々まったくと言っていいほど取り付く島がありません。しかし、本来、哲学をするということはそういうことなんです。哲学は確かに大学や学識のある人などから学べますが、哲学をするということは己にすべて委ねられている。」

緑茶「今の意見を聞いて、ふと思ったのが、少佐さんにとって小説とは結論であり、批評やエッセイなどは思考の躍動ということですか。」ハテナ?

少佐「ですね(笑) だから批評とかを書く方が小説よりもエネルギーと調べ物をするウィットが高いかもしれません。ほとんど読んで理解してもらえる品物ではないから、コスパは最悪もいいところです(笑)」

緑茶「『C/M』は確かに難しい。私や桜月さん、彼岸花さんの作家論も相当な読書量がないと、展開している論に追いつけない。でも『戦え!三文ライター!!』や『思考の融通無碍』などは比較的に読みやすいような気がします。でも一見さんお断りみたいな悪意が根底に流れている(笑)
また先ほど、少佐さんは小説よりも批評の方が難しいとおっしゃいましたが、私は違うと思うな。だってそうじゃないですか、五月の『The eye of the Bendis.』や九月に連載している『炎927』。今あげた小説は、残虐で暴力的な描写に目が行きがちになりますが、そんなものは少佐さんが仕掛けている技とらしいデコイ(=囮)で、本当に訴えたいことはその深層にあるのではないでしょうか?」

少佐「お話の”真相”だけに、お話の”深層”に潜む(笑)」フフ

緑茶「wwwww ダジャレを言っている場合ではありません(笑)」

少佐「私は読者諸君には読んでくれることに期待していますが、理解してくれることにはあまり期待していません。五月のお題は『好き嫌い』、そんなテーマははっきり言って私にはどうでもよかった(笑) 私が描きたかったのは『国家』と『個人の生き方』、つまりはドゥルーズ=ガタリの『千のプラトー』で語られている、『戦争機械』と『器官なき身体』の関係性ですね。それをどう分かりやすく、そして読めるような体裁にするのかが悩める端でした。ドゥルーズ=ガタリの本は読みにくいたっらありゃしませんからね(笑)どうすれば、普通の哲学書を一冊も読んでいない読者諸君でも読めるような体裁にするか、頭を悩ませました。」

緑茶「そこで、伊藤計劃の小説のスタイルが貴官を救った・・・というわけですね。」

少佐「まあ、そういうことです(笑)伊藤計劃のスタイルはなかなか興味深い・・・ドライな視点でありながら、アクティブな展開を予感させる。こんな作家はいませんよ。」

緑茶「おっと、そろそろ休憩の時間ですね。少佐さん、曲の紹介をお願いします(笑)」フフッ

少佐「え、私が言うんですか!?」ファッ!!?

緑茶「ヤー(笑)お願いします。」

少佐「むむ・・・そんな可愛い顔してお願いされると断れないじゃないですか(笑)
えーでは、イッてみよう!リスナーくんからのリクエスト。現代の最高にイカしたラップ☆マン、Eminemでリーアム・ニーソン主演の『ランオールナイト』の主題歌にもなったこの曲――『Cinderella Man 』!!」


〜休憩中〜


緑茶「 Eminemで『Cinderella Man』でした〜
あらためまして、こんばんは〜DJ緑茶のオールナイト★イッシュ。ここから、少佐さん風に言うと最終ブロックになります。
やっぱり本場のラップは全然違いますね、少佐さん(笑)」

少佐「まったく誰ですか、こんな曲、真夜中に聴いているリスナーくんは(笑)ビックリしましたよ。たぶん、今年で一番度胆を抜かれましたね(笑)」

緑茶「ですねwwwww」

少佐「そういや、緑茶さんは最近、MMDにハマっていらっしゃるみたいですね。ツィッターとか見てみると、広告ポイントが1600貯まっているとかなんとか・・・」

緑茶「広告ポイント・・・?ああ、広告チケットのことですね。まあ、割引チケットみたいなものですよ。少佐さんはツィッターとかはやらないんですか。宣伝とかで便利ですよ。
(言えない、宣伝が名目だったけど、MMDにハマっているなんて・・・(汗))」

少佐「私はひじょーにアナログな人間でして(笑)電子機器は苦手です、うちの通信兵のムウマージとかは得意ですけどね。」

緑茶「意外ですね、キンドルとか持っていそうなイメージがありましたけど・・・」チラッ

少佐「キンドルは持ってますよ、発売してからすぐに買いました。
あれは便利ですね、あのタブレット一つで何千冊も一度に運べるし、エロ本を買う時も、店員さんに顔を合わせなくて済む(笑)」

緑茶「wwwww」

少佐「しかし、欠点もありますね。あれは本を読んでいるという感覚がどうもないな。味気ないというか、ブラウザ上でただ文字を流しているような感覚があります。
『サイコパス』の槙島くんではありませんが、本というのは、ただ、文字の配列に想いを寄せるのではない。自分の感覚器官を総動員して読んでいると思うんですよ。」

緑茶「ほうほう・・・詳しく、良いですか。」

少佐「・・・ヤー、いわばオーケストラでいう”チューニング”のようなものですね。本を読んでいても、内容がまったく頭に入ってこない時がある。そういう時は何が読書の邪魔をしているのか、ふと考える。また、体調や精神的に不安定なときでも、すらすらと頭に入ってくる場合がある。そんな時、自分の目に見えない部分を測定している、調律しているような気がするんですよ。
その際に大切なものは、指が触れている紙の質感、脳みそに鼓動している本のある一節のようなもので、これは全身を使って読書をする以外何物でもないです。」

緑茶「へぇ・・・そういう読書論は聞いたことがないですね。また、やってみようと思います(笑)」

少佐「緑茶さんの愛読書とか知りたいですね、前にユングが好きだとか、言ってましたね確か。『七夜の虚構』に代表される最近の夢の三部作と何か影響はあるのでしょうか?」ハテナ?

緑茶「どちらかと言えばですよ(笑)・・・オカルトとヴァカにする人がいますが、集合意識とか、夢のまた夢とか。”魂の現実性”とか面白いですね、魂とはただ単に個人が所有している自分の心を意味するのではなく、むしろ魂とは、その中に自分が住んでいるとこの世界のような――」

少佐「おーと、そろそろ看板ではないですかな(笑)」

緑茶「え!?あ、おっと。ユングだけに、夢中になっていて気づきませんでした(笑)
さて、今週もそろそろお別れの時間がやってきました。少佐さん、今回はお忙しい執筆の中、本当にありがとうございました。」

少佐「いやいやぁー、長々とお付き合いありがとうございました、緑茶さん。ラジオもなかなか良いモノですね」チュッ!

緑茶「こちらこそ、ありがとうございました。更新、頑張ってくださいね。

今週のお別れのソングは、少佐さんからのリクエスト。スムーズ・ジャズの大御所、Dancing Fantasyで『Seasons』。では皆さん、ごきげんよう。」


〜♪〜


Re: 『C/M』 ( No.240 )
日時: 2015/08/16 06:06:08
名前: 少佐◆PmkXtdTtWWM ID:/PaSLNx6

『C/M』


4-1 私の女性観


 今月の14日に35回目の誕生日を迎えた。
毎年のことだが、バイエルンの実家に電話をかけ、母に産んでいただけた礼を述べ少しばかし世間話。母の話すことは毎回ほとんど同じで、「そっちの暮らしはどうなのよ?」「ちゃんとご飯、三食食べてるの?」「仕事はちゃんとやれてる?」「そろそろいい人でもできたかしら〜?」・・・と、この四つに限る(笑) そっちの心配をすればいいのに。
思うに誕生日というものは、お腹を痛め、命を賭して産んでくれた母へ感謝を表する日であると思う。本当の母の日だ。おもちゃを買ってもらうとかケーキを食べる日では決してない。あんなのは○二家や○カラトミー、○天堂の企業戦略だ!

午前中に仕事をちゃちゃっと済ませて、カフェ・バタイユでコジョンドを待つ。実を言うと、これからデートなのであーる(笑) おいっ!そこの画面の向こうで無粋な笑みを浮かべている君ィ!あとで一杯奢ってやろう。
灰皿を取り、テラスに出てアイス・ラテを飲みながら待っていると、前方から白のフィールド・シャツと迷彩柄イレギュラーヘムタイトスカートを穿いたコジョンドが手を振りながら走ってきた。おいおい、迷彩はないだろう。女の子なんだからもっと可愛いやつを着なさい。私の趣味に合わせる必要なんてないぞ。

「ハァハァー、遅れてしまってすみません、少佐ぁ。待ちましたか?」

「あ、いやいや、私もさっき着いたばかりだよ。」

「・・・ふふっ、嘘つくの下手ですねェ、少佐ぁ。吸殻が三本もあるじゃないですか」

「・・・! おっと、こいつは参った。君も何か飲むか。」

「あ、では少佐ぁと同じものを」

ボーイを呼び、コジョンドの分とお代わり、ついでに日替わりケーキを一つ頼む。もちろんコジョンドにである。甘いモノは軍医から厳しく咎められていて、非常に残念・・・○ァーキュウー!!

自慢ではないが、私の持つ職場はひじょーに高いレヴェルの女性関係に恵まれている。コジョンドのような根は強い娘やジャローダのようなしっかりとした副官、ミロカロスのような 素 晴 ら し い 抱 き 枕 (※意味深長)やユキメノコのような思いやりにあふれる娘などなど。本当にイイ娘たちばかりだ。
んn・・・?『え、少佐さんって女性が嫌いだって小説内で明言してましたよね?』と、御批判の混声合唱が聞こえる。

確かに、私は女性が嫌いである。大っ嫌いである(笑)これについてはまったく否定しない。
しかし、それはカントのいうカテゴリー上の諸問題であって、芸能人の離婚話をまるで自分の身内の話のようにする女が、自分の子を育てるなど寒気と虫唾が同時に徒競走を開始するし、四六時中ラインでお友達と長々とクラスの子のクソどーでもいい悪口を叩くような女は地獄に落ちろ!!と考える。(本音を言えば、奈落の底に突き落としてやりたい)
私が好きなタイプは、顔が可愛い、容姿端麗、料理上手とかそういうのは至極どーでもよくて、言葉が凡庸ではない女性にどこか惹かれる。それは自分の価値観をしっかりと宿した女性である。美意識でもいいし、教養でもいい。そういう女性とは対等に付き合えそうであり、何より会話も弾むであろう。結婚とは会話だ、ニーチェもそんなことを言っていた。この人と80歳を過ぎても楽しく話せるだろうか・・・?ある人と結婚する時にそういう問いを自分にあらかじめ投げかけるといい。

この世に言葉の使い方を磨けあえるほどの相手はそう多くない、感性であればなおさらだ。ネット広しといえども、こればかりは状況は変わらない。そんな相手に巡り合えると男と女の場合、強い『親近感』・・・というよりもむしろ『信頼感』が芽生える。こいつが男同士だと、ホモになってしまうから警戒が必要だ(笑) 互いに敬意を払いながら注意深く付き合わねばいけない。

私という人間は非常に小さな器のくせに、自分のことをポイと棚にあげてあーだこーだと人様や世相、社会を皮肉な目線でボロクソに批判する。好きなものと嫌いなものを一緒に並べれば、嫌いなものの方が幾分か多いどうしようもない人間である。しかも質(たち)が悪いことに嫌いなものが多すぎて本当は一体何を嫌っているのか、さっぱりわからなくなることが度々ある。自己破壊的な、自壊する性分なのであろう(笑)

・・・そういう私をジャローダは理解してくれ、「こら!」と戒めてくれるし、コジョンドであれば「もっと楽しいことを考えましょうよぅ〜少佐ぁ〜♪」///と気分転換を促して安定した感情をもたらしてくれる。
ミロカロスなら、孤独に泣いた夜を優しくナデナデして慰めてくれるし、ユキメノコなら物陰から「・・・ひゃわぁ、頑張ってくださいね少佐殿。私はちゃんと見ていますよ」と、そっと応援してくれる。

うーむむ・・・どうも男性というのは”女性”には絶対に勝てないようだ。邪知暴虐に、わがままにふるまっていても、実は女性の持つ精神的な支えがあるからそんなことができるのだ。『古事記』を紐解けば、日本神話の中で最も横暴なスサノオは姉のアマテラスへの禁じられた愛を貫こうとして、物語はクライマックスを迎える。
淑やかで美しいアマテラスが、弟の過激な愛を”あえて”受け入れる「姉の強さ」を秘めている。やはり、男性は”女性”の手のひらの上で三文芝居を演じているだけなのだ。いやいや、強い”女性”に「何をしてもイイのよ」///という許可をもらっているから、心おきなく暴れられるのだ。その後で、「これこれ!いくらなんでもやりすぎよ、メッ!!」と叱られるのを待望し、「さあ、疲れたでしょう?私の胸の中でお眠りなさい・・・」と許されるのを夢見ながら。

”女性”への依存心で安心して子供のように振る舞っている−そういう意味では私というのは月並みな男だ。世界は今も昔も男性を軸にではなく、女性を軸に回っている。今の財布の中身をかけてもいい。






Re: 『C/M』 ( No.241 )
日時: 2015/08/21 17:17:10
名前: 少佐◆PmkXtdTtWWM ID:ybFMvUTw

『C/M』


5-1 不協和音―現代の似非音楽


 私の大隊に所属するミーハー娘、ラティアスが両親に私を紹介したいという。そんなわけで、彼女の実家があるアルトマーレに、盆休みを取っていたksksさんと一緒に行くことになった。
・・・実を言うと照れ臭いのだ、こんなかわいこちゃんと二人っきりというのは(笑)よし、ここは貴重なksksさんの盆休みを道連れにすることにしよう。

水都 アルトマーレはホウエン地方とシンオウ地方の中間点に位置する美しい島街である。バロック様式とルネッサンス期の建築が融合したような建造物の光景に定評がある。映画などの舞台になって良く知っているつもりであったが、実際に行ってみると、なんと圧倒されることか!『百聞は一見如かず』の言葉通り、まさに都会の無機質的な形式化された美の対極に位置する有機的な内容化された美がそこにあった。

「どうですか〜ショーサ様?」

とちほ
Re: 『C/M』 ( No.242 )
日時: 2015/08/30 08:08:16
名前: 少佐◆PmkXtdTtWWM ID:jQmrUMv6

『C/M』


6-1 『小説』を書くとは何か?


 最近、早くに眼が覚める。六時手前の、あの空が白み始める私が一番好きな時間帯にだ。いつも一時くらいに床に就いているから、少々睡眠不足気味である(笑)
眠い目をこすり、起きてすぐに玄関へ向かい新聞を取る。新聞配達の皆様には、毎時決まった時間にちゃんと届けていただけて感謝しきれない。当たり前のことなんてないぞ、そういうことに気づこう。日に何紙も取っている自称・エリート意識の高い市民様がいるが、私は大ヴァカ者だと思う。配達する人に悪いし、ちゃんと読めば一紙で事足りるじゃないか。どの新聞も大差ない。違うのはコラムと社説、人生相談ぐらいだ。

お湯を沸かし、コーヒーを淹れ、新聞に眼を通しタバコを吸う。これが毎日の日課というか、何というか。やはり早起きすると時間がゆったりと使える。
書斎に入り、昨日書きかけた原稿に手入れをしながら一服。私はサザンドラ以上ではないが、結構なヘビースモーカーである。銘柄はロング・ピース。あの甘ったるい煙と、平穏な名とは裏腹に込められた突き放したようなキックを好んでる。私の好きなタイプだ。馴染んでくる、あの感覚が何ともタマラナイ。

哲学もこれに似ている。最初から分かるヤツなんていない。いるとすれば、羨ましいほどの天才か、躁鬱の気がある人間だと推測する。「何だか凄い事を考えているぞ・・・?どういうことだろう・・・?」と出発し、地道に史をたどり、自分なりのアプローチをしかけてみる。ゆっくりでいい、早合点は早忘れをする。今の時代、スピードとか、効率とかいろいろとやかく言われているが、そんなことでは技術というのは馴染んでこないし、中身や深み、断層をないがしろにしてはいけないとおじさんは思うよ。

三年近く前、私はここで小説を書こうと決心した。理由は至極簡単、ある高名な作家さんに注意され、悔しくて悔しくて、彼を越えるような大作を書き上げて見返してやろうという下衆な試みからである。
そうやって今まで書いてきた・・・いや、走り続けてきた。ふと、周りを見ると彼はいなく、ちらほらまばらに数えるほどの作家さんがいるだけである。なるほど、作家になるのは容易い、しかし、続けることは非常に困難である。
人がいないことを理由に○ixivを訪れてみたが、言葉を失うほどの荒廃した大地であった。文章やイラストの整合性、清潔そうな身形・・・どれも私の好みに合うが、しかし作品の"味"が絶望的にまったくない。吟味することが出来ない。舌が肥えすぎているのだろうか、観覧数や、マイピグを増やすだけのあの拝金主義に似た媚を売るようなシステム圏の中で、意味や意義のある作品など想像できるものか。共鳴する作品は少ないが多少はある。しかし、私はあの空気が嫌いだ。だから、バックアップとして用いる。それが私の反旗だ。
観覧数や「面白い」「つまらない」などの感傷的なコメントには興味がない。そんなものに答える時間が私には無い。私が知りたいのは賞賛や批判ではなくて、反響である。諸君が私の作品を読み何を考えたか、ただそれだけを知りたい。

人が小説を書くのは、暇つぶしとか、盟友の緑茶さんなら戯れとか、伊藤計劃なら自分という物語を残すことだとか千差万別に言えると思う。私の場合、出発は虚栄心からであった。そして、今はどうか。上手く言葉として捉えるのが難しいが”メッセージ”であると一定の結論を答えよう。”メッセージ”とは私の信念であり、私という人間である。言葉は身体だ、文章が人なりであるように、応答はその人そのものである。

作品内に散りばめられた、その作家の信念を私はこれから拾っていこうと思う。その人の思考の輝きを、その人であることを私は見つけて行こうと思う。

こんな退屈な世の中で、どうすればいいのか、彷徨う人がたくさんいる。○chや○ィッターで繰り広げられる何の意味もない書き込みや、人様のブログを悪きの様に誹謗中傷するオツムが横着なイカれ野郎、鬱屈した自分の人生の憂さ晴らしに凶行に及び他人を道連れにする輩や、マスコミが作り上げた虚構につられて、自分がそれが好きだと信じてやまない○価学会の信者みたいなクソ野郎などが少なからず存在している。
今の時代の空虚さは誰しもが薄々感じているのは確かだ。訳の分からないノウハウ本や他国の悪口を書いた本がヴァカみたいに売れる今日の出版業界を嘆く人は多い。また、本だけではなく、文化自身が危機を迎えている。そのような危機を危機足らしめている所在はいったいどこにあるのか、また本当にそれが自分自身が選び取り、好きであると諸君は誇れるだろうか。そのものの価値が分からないとは、そのものを理解していないからである。いわば無知力の問題である。ニャースが小判の価値を分かっていないように、知能や教養の差が激しいと一定量を教えるのにもかなりのエネルギーを使ってしまう。
そのようなときにこそ、哲学の批判的な思考が動力を生む。直面している課題に対して、その原因の所在を明らかに認識し、その解決方法を巧みに見出すことが出来るのではないだろうか。私はその可能性に賭けている。
世にはゴダールの映画のパンチや、ハイデガーの哲学の深淵さ、プルーストの文学の美しさを一ミリも知らずに死んで逝く人がいる。面白いモノなんて数えるぐらいしかないのに大変残念だ・・・新奇や珍奇な、二年も三年もすれば消えていくような中身のないものに、どうして人は自身の貴重な資産である時間を無為に蕩尽することが出来よう。生は長いようで短い、まるで夏休みのようだ。その中で何を残し、何を伝えられるかが勝負となる。私はそれに挑んでいる。いやなら別にかまわない。しかし、ついて来てくれるのであれば、予想を裏切り、期待に応えてみせよう。そこにしかない地平が必ずある、ゆえに私は水先の案内人となり考え続けなくてはならない。
なぜなら・・・思考する力は未来を切り開くときに人間に残されている最後の手段であるのだから。


Re: 『C/M』 ( No.243 )
日時: 2015/09/06 18:18:18
名前: 少佐◆PmkXtdTtWWM ID:/PaSLNx6

『C/M』


7-1 Agent of Chaos


 現地時間13日午後9時頃、ミアレシティを襲った多発テロは世界中を震撼させ、そして同時に“混乱”を招いている。国際的に孤立を深める隣国は、遠い異国のテロ攻撃への哀悼の意を表する“電報”を打ち、国際的な企業のAmaZoonは“ソリダリテェイ”(=仏:連帯の意)という空虚な“言葉”をトップページに掲げた。これらの虚しい言葉の連鎖や混乱ぶりを見て、首謀者が画策したこのテロ最大の目的――世界へカオスを運ぶこと――が安易に想像できよう。

テロが起きた時、私はテロの攻撃目標である一番街から遠く離れた自分の事務所で『劇場版ハーモニー』の論考を書いていた。半分ほど仕上がり、遅めの夕食でも取ろうかとした矢先、ミアレ出版の編集者で、『少佐のABCDE……』のインタビューアを務めてくれたピエール・シェーンベルクから電話がかかり、彼は息を切らせながら「カフェで大変なことが起きてますよ、少佐!」と電話口で叫んでいた。普段は、冷静に言葉を選ぶ彼が珍しく混乱している。耳を澄ますと、周囲から悲鳴や泣き声、警官の怒号やパトカーのサイレンなどが聞えていた。
ピエールに私の事務所にすぐに来て、状況報告をしてくれと頼んだら、彼は「わかりました」と即答して、電話が切れた。
三十分ほどしてから彼は私の事務所に来てくれた。私は温かいコーヒーを労い、何があったのか、詳しく伝えてくれと言ったら、彼はカロス人らしく早口ながら今分かっていることを話し始めた。

惨劇の始まりは、繁華街のカフェだった。休日の前で、少し浮かれた人々でにぎわうカフェで犯人たちは自動小銃を乱射し、さらに向かいの異国料理専門店にも凶弾を放った。
事態がさらに深刻化したのは、それから二十分後の競技場へ攻撃で、今現在も犯人たちが立てこもっているという。
(補記:この文章から二日経過した15日には、事件の全容が細かく報道されている。ミアレ中心部の飲食店などの八か所で銃撃が起きたほか、イッシュ・ロックバンドのライヴが行われた劇場も襲撃され、最多の死傷者を出したという。)

話し終えると、ピエールは「・・・タバコ、頂けますか」と言って、机の上にある私のタバコをものほしそうに見つめた。私は一本取り出してピエールに渡し、口にくわえると火をつけてやった。私もついでに一服する。
タバコを吸っている間、沈黙が続いた。ミアレ生まれ、ミアレ育ち。ソルボンヌで哲学と文学を修め、十九世紀後半の文学者についての難解な論文を書いて博士号を取ったこの優秀な編集者に対して、異邦人の私が名が書けるに値する言葉などはないに等しい。本当は「大変だったな」とか「心が痛む」とかそういう“慈悲深い言葉”を投げかけるのが常識であると思うのだけれども、私は自分に嘘をつくこと、相手を弱者と見て同情することに嫌悪と恥を感じる。彼は一人の自立した大人だ、いつまでも無邪気な子供ではないのだ。

「・・・少佐はどう思いますか?」

最初に火種をつぶして、沈黙を破ったのはピエールだった。何を返すかは十分承知している。彼が何を望んで、そして彼に何を話してやればいいのかも私には分かっている。私は一口吸い、そしてゆっくりと吐き、少し考えてから口を開いた。

「今回の事件はまだよくは分からないが・・・確かなことを言えるのは、一月に起きた風刺出版社襲撃事件の時に行った政府と、そして私たちの政策は根本的に間違いであったということだな。
あの時、ネットに感化された人々が「私はシャルリ」というプラカードを作ったり、様々な抗議のデモをやったり、知識人は偉そうな口ぶりで週刊誌や月刊誌、新聞の欄に「この事件の根幹は〜」といったりしたものだが、それはすべて間違いであった。今回の事件が本当に伝えていることは、そういうメッセージだと私は思うよ。」

話し終えると、私は喉が渇いてすっかりと冷めてしまったコーヒーの残りを一気に飲んだ。冷たいコーヒーは本当に苦い。
ピエールはしばらく考えてから、席を立ち

「・・・コーヒーとタバコ、ごちそうさまでした。原稿の方、待っていますからね、少佐。ボノニュィット(=おやすみなさい)」

そう言い残して、帰っていた。私は失礼なことだけれども、見送りはしなかった。今の彼には一人になる時間が必要だ。彼だけではない。ミアレにいる、カロスに住むすべての人が、一人っきりになってこのことを深く考える必要があるのだ。TVのコメンテーターやお偉い大学の先生のディスクールを待たずに。
私はそう思いながら、書庫がある一階へ向かった。書かねばならないことがある。今夜は長くなる。鎮魂にあてるには不純な動機かもしれないけれども、物書きの端くれとして、どこかの誰かへ、どこかの時代へ残したいメッセージというのがあるのだ。


それがこの時代に生まれた“意味”であると私は強く思う。


Re: 『C/M』*迷妄中* ( No.244 )
日時: 2015/11/15 18:18:18
名前: 少佐◆PmkXtdTtWWM ID:Q.3SJ0AY

『C/M』


7-2 Agent of Chaos


「均衡が長引いたあげく、それがいまだに戦争に属しているのか、あるいはすでに平和に足を踏み入れているのか、判然としなくなることがある。
哲学が時代に対する怒りから切り離せないことはたしかだ。」

ジル・ドゥルーズ:『記号と事件』(P7)


 以下はあまりポケモンとは関係がないかもしれないが、私の一興に付き合ってほしい。そして、諸君の考えを聞かせてほしい。

思えば、モノを書き始めてから私はずっと“このテーマ”について、筆と小さな脳みそを彷徨い続けていたのかもしれない。未来の読者諸賢は私の軌跡をみて、「ああ、この三文ライターはコンスタントにずっと“戦争”について言及してきたのだな」とでも思うのだろう。それは決して間違えではないし、よく読み込んでいる証拠だ。読者と呼ぶに値する。
私が敬愛するジル・ドゥルーズという哲学者もそのような立場を取っている面がどうもある。1925年という前の戦争の後と世界恐慌の前菜、そして来るべき戦争の前の狭間に生まれた彼には“語らねばならない”という、何かしらの時代的な責任感のようなモノがあったと私は切に思う。2巻にわたる大著『シネマT・U』では巻の区切りになっているのは第二次世界大戦であり、また時事時評に目をうつせば、ヴェトナム戦争、湾岸戦争、パレスチナ問題に言及する論考を書いている。(『無人島』<下>、『狂人の二つの体制』<下>のP63,209,281参照)

この数々の論考の中で一貫してドゥルーズは、敵を“テロリスト”と呼ぶことの政治性や戦略性について多くの批判を残している。敵を“テロリスト”と一方的に呼び、戦争や争いを利用して私腹を肥やす人々に対して彼は強い言葉をもって非難している。
そもそも“テロ”とはフランス革命のときに吹き荒れたロベスピエール派が行った恐怖政治(=テロル)をから派生した言葉であり、爆弾を抱えて自爆する行為は何にもテロの専売特許ではない。80年代に米国を震撼させた“ユナボマー”や要人暗殺などで自爆して対象ではない人数までも巻き込む行為などは、凶悪な犯罪と表記するのが適切であると思うのだが、ここに“意味”のレトリックがある。テルミドールの反動以降、ジャコバン派によってロベスピエール派やそれに加担した人々は追いつめられて行き、憎悪と報復の対象となった。(この対象となった要人の中にはナポレオンまでいる。)
つまり、この“テロ”や“テロリスト”という言葉は初めからある政治的抗争の中で、権力を手にした側が、抹消するべき“敵”に対して投げかける侮蔑の言葉としてあったこと、“テロリスト”という名指しは、「リンチだ!」という掛け声や合言葉に近いモノであったということが理解できると思う。
ここで重要な点は政治的であるということだ。テロリストと無差別殺傷者が根本的に異なり、そして性質の悪さはまさにここにある。彼らは何かしらの政治的な信条があり、それが冷たい原動力となってこのような悲惨な事件を起こす。政治信条があるというのは、言葉が孤立せずに共有されていることで、感染もすれば、強い信頼感も存在する。言葉(=思想)は前提に集団性を持つ。弱いスカスカの脳みその隙間を埋めようとそれらは”浸入”するのだ。

今回の事件で容疑者と思われる犯人たちが7名死亡したが、私はもっと潜んでいると思う。世界的な大都市を7名で一時的にではあるが、混乱させるなんて絶対に不可能だ。銃の調達、計画の精度、交通手段、警察の展開が予想されるポイントetc・・・突発的な犯行ではないのは確かで、また資金もかかり、高度な情報処理能力、軍事訓練が必要だ。おそらく、一月の風刺出版社襲撃事件の時に使われた“テロのネットワーク”がミアレには張り巡らされている。二度あることは三度あるとは言わないが、もう一度、同じネットワークを使って類似した事件が起きるのではないか。

犯人たちの素性は良く分かっていないが、大方は予想できる。外国人居住区の悲惨さは筆舌尽くすことが出来ないし、ミアレの華やかな豊かさの陰に照らされる彼らの生活は本当に厳しい。
また、先進国特有の若者たちの揺らぐアイデンティティを満たすものは、この社会には何も存在しない。大人が堕落して、行く道を示さずに快楽や無知を続け、行こうとする道を探す若者たちはそんな大人の姿を見て幻滅し、神秘思想や瞬間の美に走る。

いわば、これはしっぺ返しなのだ。満足せずに二十歳そこそこで死ぬか、八十歳で死ぬか――今、私たちがこの事件を受けて真に突き付けられている問題はまさにこれだ。二十で朽ちれば、人々はなんて早い死だと大いに嘆くことであろう。しかし、歳をとればとるほど、二十で死んでなかったのは何てヴァカだったろうと気づく。
美しく死ぬか、汚く醜悪に染まって生きながらえるか。私は別にテロを擁護しているわけではない。ただ、この一連の行為には生死を越えたメッセージというモノがあると考えている。宗教云々ではない。そんなこと、政府も首謀者もどうでもいいのではないのか。
不毛な大地に生まれ、一方を見れば貧困が連鎖する社会があり、もう一方を見れば食べきれない食料や飲料水を顔色一つ変えずにゴミ箱へ捨てるような社会がある。誰だってそんな境遇や環境に置かれれば後者を強く憎むはずだ。一方は鋭敏な改革を求め、もう一方は建設的な維持を求める。誰がどう見ても、こんな議論がかみ合うはずはないではないか。「テロに屈しない」という便利な言葉は、話すことはない、話しても解決できそうにないという責任放棄と諦めの印である。それこそ、テロリストを育む豊かな土壌への栄養に他ならない。テロは貧困と先進国が向かっている矛盾への一撃なのだ。

先進国社会は今後おかしな方向へ向かうであろう。テロを言い訳に日常生活までもその手を伸ばし、都合よく私たちの“生”を管理し始めるであろう。そして恐怖から私たちは自らの権利と力を放棄し、自由を手放すことになる。“安全を守るための戦争”、それが今日の矛盾した戦争の正体である。


シャルリエブド襲撃の時に学ぶべきであった。連帯や同情する前に、私たちが本当に為すべきことがあるのではないか。死者たちに手向けるのは花束や空虚な言葉などではなく、私たちが今後、取れるであろう、示すことが出来る道である。

死者たちのために、そして私たちの未来のために、深く考える必要がある。120数名あまりの屍の上で、皆その責任を無条件に背負っている。


Re: 『C/M』*迷妄中* ( No.245 )
日時: 2015/11/20 18:18:37
名前: 少佐◆PmkXtdTtWWM ID:jfcGxdjI

『C/M』


8-1 Immanence


思えばこれだけ生きてきて、私は何人の人に出会えただろうか?

願ったような出会いだろうか?良いヤツばかりではないだろう

想えばこれだけ生きてきて、私は何人の人に出会えただろうか?

描いたような出会いだろうか?嫌なヤツばかりではないだろう


士官学校時代の友、ホームセンターの副店長。むかつく鬼軍曹に恋人のあの人

友から学んだ助け合い。初めて貰ったツタージャは忘れない

耐えることを学んだ苦手な軍曹。感謝しきれない、今では本当に

あの人と過ごした幸せな日々の数。私は初めて女性の深さと愛を知った

ポケモンを育てるようになった私は、つまらない事で悩まなくなった

そこに多くの人たちが集まった。戦えば実は皆強く、そして熱かった!

これまでの人生、これからもゆっくりと歩み、出会う人たちがたくさんいることだろう

つぎ会えるだろう、まさにその人が、私をまた成長させてくれるだろう



思えば今まで生きてきて、わたしは何人の人に出会えたんだろう?

願ったような出会いだろうか?良い人ばかりではないだろうな

想えば今まで生きてきて、わたしは何人の人に出会えたんだろう?

描いたような出会いだろうか?嫌な人ばかりではないだろうな


地元の友達、ローゼンベルクの戦友達。頑固な両親に恋人のあの人

尻尾を触られたさばねこさんとの戦い。初めてのアクアテールは忘れない

虚弱なくせに彼は昼夜を問わず、いつも筆を取っていた。目指している、納得できるものは書けたのかな?

一人で暮らしてから分かる両親のありがたみ。溜まっている着信も少しは返さないと

あの人と多く過ごすようになったわたしは、夜型の彼にはいろいろと振り回された

気づけばあの人と深く分かり合えた。意地っ張りなわたしは、初めて人を慈しむ優しさを彼から学んだ

これからもずっと、彼の盾となり枕となり、出会う人たちにもきっと優しくなれるだろう

つぎ会えるだろう、まさにその人が、わたしをまた成長させてくれるだろう

Re: 『C/M』*迷妄中* ( No.246 )
日時: 2015/11/20 18:18:57
名前: 少佐◆PmkXtdTtWWM ID:jfcGxdjI

『C/M』


8-2 Immanence

「ひとつの生が収めるのは潜在的なものだけだ。ひとつの生は、現実性を欠いたなにかではない。ひとつの生は、潜在性、特異性、出来事からなる。」

ジル・ドゥルーズ:「内在――ひとつの生」 『ドゥルーズ・コレクションT 哲学』に収録(P163)


思えばこんだけ生きてきて、俺は何人の人に出会えたんだ?

願ったような出会いか?良いヤツばかりじゃないのは確かだ

想えばこんだけ生きてきて、俺は何人の人に出会えたんだ?

描いたような出会いか?まあ、嫌な野郎ばかりじゃないのは確かかな


訓練所のツレ、甘党でハゲな少佐。強面のエンブオーに初恋のあの子

努力値から学んだ競い合い。酔っぱらってガチで喧嘩したあの夜は忘れない

初めてあの子に恋をした17・・・シュバイネル!笑い話だぜ、とっくの昔さ

弱小のメンツばかりのptでは負けばかり。でもともに流せた汗と涙。そして目指せたヴァカデカい夢に

社会に出ても甘えた俺は、うるさい少佐には世話になった。昼メシ時にはいつも誘ってくれてマジで嬉しかった

そんで、バラのエンブレムの下に仲間が募った。ドリュウズと知り合って仕事になった、皆熱かった!

こっからの人生、ガキっぽさを残して、その青さが俺を変えていくんだ

つぎ会えるだろう、まさにお前さんが、俺をまた成長させてくれるだろう



思えばこれまで生きてきて、ワタクシは何人の人に出会えたのでしょう?

願ったような出会いでしょうか?良い人ばかりではないでしょう

想えばこれまで生きてきて、ワタクシは何人の人に出会えたのでしょう?

描いたような出会いでしょうか?・・・まあ嫌な人ばかりではないでしょうね、ウフフ〜♪


アルトマーレの兄姉、水路の友達。優しい両親に新しいマスター

兄や姉、両親たちに支えてもらいながら飛んだあの透き通って大きな青空。初めての飛行は忘れない

ヤンチャな友達と家抜け出して、夜通し月を見ながら夢を語りあった。夢はそれぞれ叶ったのかな?

いつもご馳走してくれた海沿いのカフェのマスター。無口な笑みと悩み相談に凄く助けられた

前のマスターに、突然、GTSに預けられたワタクシは、捨てられた悲しさと広がる暗闇の恐怖にただ泣いていた

やがてあの人が現れた。最初は外見から少し怖かったけど、本当は優しくて実の娘のように可愛がってくれた

ここからの人生、未熟さを見極め、知って、ともに戦ってくれる戦友たちがワタクシを変えてくれるでしょう

つぎ会えるだろう、まさにその素敵な人が、ワタクシをまた成長させてくれるでしょう〜♪



――きみたちと出会い あなたに出会い


――きみたちから学び あなたに学び


――私は きみたちから あなたから


――戦い続けて 育てられて “今の私たち”がいる

Re: 『C/M』*迷妄中* ( No.247 )
日時: 2015/11/20 19:19:19
名前: 少佐◆PmkXtdTtWWM ID:jfcGxdjI

『C/M』


9-1 Happy Birthday Dear My Mitstreiter !!


・今日は私の大切なネコ科の戦友の誕生日なので、誕生日を題材にした小説を彼にプレゼントしたいと思います。

なんだか恒例行事化してきましたねw




 「・・・メノコ、これなんてどうだ?パウル・クレーの『新しき天使』の複製画だ。けっこう値は張るが、彼もこれをもらえば度胆を抜かれるに違いない。」

そういって少佐殿は一枚の奇妙な絵画を私に見せた。キャンパスに描かれているのは、私たちが一般的に天使だと思い描いているあの柔らかそうで優しそうな表情を浮かべている姿ではなく、眼がいっぱいに開かれて、不気味な嘲笑ともとれる笑みを浮かべた、誰の眼が見ても“下手くそ”な天使(?)だった。いやいや、少佐殿。お言葉ですが、さばねこさんはそのようなご趣味は・・・
口をどもらせている私を見て、彼は察したのか「・・・うーん、だめか。」と言って絵画を棚に戻した。はぁー、私の馬鹿。ちゃんとはっきりと言わないといけないのに。



――昨夜、少佐殿が主催している来週の読書会の課題図書を読み終わって、床に就こうとしていた時、彼から突然電話がかかってきた。時計に目をやると1時をとうに過ぎていた。

ーーーやあ、メノコ。こんばんは〜 もしかして寝ていたのかな?フフッ

「しょ、少佐殿っ!?あ、すみません、こんばんはです。」

夜中の電話は何だか緊張する。ましてや、自分が思いを寄せている人となると、そのぅ・・・

ーーー突然だが、君は明日・・・いや、今日だな。今日のランチの予定は空いているかな?もし空いているなら、少しばかり私に付き合ってほしい。

心臓がどくどくと高鳴るのが分かった。「ひゃ、ひゃわぁ!?も、ももしかしてデートのお誘いですか?」と私が早口に答えると、しばらく経ってから電話越しに彼の笑い声が聞えた。

ーーーまあ、そんなところだ。場所はそうだな・・・エテアベニューにあるカフェ・ド・フロールで落ち合おう。ではオーバー!おやすみ、私の可愛いメノコよ。

電話が切れて部屋が一気に静かになる・・・私はその夜、電話を抱きしめながら布団に入った。


いつもより早くに目が覚めた・・・といっても、緊張してほとんど眠れていない。私は眠い目をこすりながら冷蔵庫からアイスコーヒーを取り出してコップに注いだ。そして砂糖なしで一気に飲む。よしっ!
何を着て行こうかな・・・彼が喜びそうな服装って何だろう?普段なら軍服で誤魔化せるけど、プライベートで出会うとなると・・・私は自分の女子力のなさを嘆いた。
今は背に腹は代えられない。私は決意を込めて電話に手を取った。

「あ、おはようございます。キュウコンさん。ユキメノコです。早朝から失礼いたします。」

私の少ない友人の中で、唯一おしゃれの相談が出来そうな人――キュウコンさん。お力添えをお願いします。

ーーーああ゛おい、ゆきんこ。てめぇ今、何時だと思ってんだよ。ふざけんなよ、マジで。今度事務所に出勤したとき、ガチで水にしてヤる、覚悟しときなァ。

彼女の聞くに堪えない暴言&しゃれにならない恐怖が私の背を冷たくさせる。ひゃあ・・・

「す、すすみません!キュウコンさん。ちょっと切羽詰まった用事がありまして・・・何とかお力を――」

ーーー“切羽詰まった”って何語だよ?つぅーか、ドイツ語でしゃべれってよ。

そうだった、彼女・・・確か中学校を中退という、今どき珍しい勲章を持っている人だった。
私は言葉を砕き、易しい言い方で状況を説明した。もちろん、少佐殿の名前は出していない。出せるわけがない。

ーーーふーん。ゆきんこがデートって、なんか悔しいな(笑)で、チェックをアタイにさせようと?いいじゃん、ノってやんよ。今日、着て行こうとしている服、着て写メ送りなァ。

「あ、はい!ありがとうございます。」


・・・そんなこんなで二時間近く彼女に服を見てもらって、私は自宅から出撃した。


集合の場所のカフェには30分以上早く着いた。けれども、少佐殿の方が早かったみたいだ。灰皿の中に吸殻が4、5本、くしゃっと折れて丸くなっている。そういえば彼は「女性を待たせるような男はヒードラン以下のクソ野郎だ!」とかいっていたような・・・

「すっすみません少佐殿!遅れてしまって――」

私が急いで敬礼をしようとすると、彼の大きな右手はそれを制した。YシャツにVネックのセーター。コートが椅子に掛けられている。仕事でもあったのかな・・・

「やあ、メノコ。随分と早いじゃないか。何か飲むか。ここのカフェラテはミアレで一番うまいぞ。」

「あ、ではそれをお願いします。」

ボーイを呼んでカフェラテを注文する。カフェラテが運ばれてくる間、緊張している私は何を話していいかわからず、伏し目がちに視線をテーブルの上に漂わせていた。

「・・・『目立たないこと、押し付けてはこないこと、手に負えなくはないこと、といった欠如的な表現は、さしあたり手もとにあるものの存在が有する、積極的な現象的性格を意味している。』・・・なるほど。」

「・・・?」

彼は夢中になると周りが見えない。そんな子供のような彼をみて私はいつも羨ましく思う。私とまったく逆だな。私は周りばかりを気にして、自分が本当に熱中できるような、夢中になれるようなことなんてないのかもしれない。

「あーいや、すまない。やっぱりハイデガーは面白いな・・・
さて、メノコ。今日、君を呼んだのは他でもない。“ある事”を手伝ってほしいんだ。」

「“ある事”・・・でありますか?」

あれれぇ、デートじゃないの・・・?ちょっとがっかりしたけど、少佐殿の頼みとなれば断るわけにはいかない。

「君は明日は”何の日”か知っているかな?」

・・・明日?今日は19日だから明日は20日。ああ、なるほど、そういうことか。

「や、ヤー!明日はさばねこさんの――」

「そう、彼の大切な誕生日だ。一緒に飛び切りのプレゼントを選びに行こうじゃないか。」

彼がいたずらっぽく私に笑いかける。私はコクッと小さく頷いた。

彼が弁票を手に取り、お会計を済ませるときに、私はふと気づいた。


私のカフェラテ、まだ届いていないんだけどな・・・(汗)

Re: 『C/M』*お誕生日おめでとうございます さばねこさん!* ( No.248 )
日時: 2015/11/20 23:20:20
名前: 少佐◆PmkXtdTtWWM ID:jfcGxdjI

『C/M』


9-2 Happy Birthday Dear My Mitstreiter !!



「もろもろの情動は、人物や事物を個別化しないが、だからといって空虚という未分化なもののなかで混同されるわけではない。情動は、潜在的に接続されるもろもろの特異性を有しており、これらの特異性が一つの複合的な実質存在を構成するのである。」

ジル・ドゥルーズ:『シネマT*運動イメージ』(P183)



 「んんー、あれは良い絵だと思ったのになぁ。メノコは気に入らないか。
『新しき天使』は、第二次大戦前夜の暗い雰囲気を渡り歩いた悲劇の批評家ベンヤミンが心を奪われた妖しく、そして素晴らしい絵だ。さばねこさんも同じように心を奪われると思ったが・・・」

画廊から出るなり、少佐殿が残念そうにつぶやきながらタバコに火をつけた。辺りに漂う甘い紫煙が風に吹かれながら立体的な形象を彩っている。
彼は一般の人と少しずれている。この大隊に入ってからすぐに分かった。ずれているのは私も同じだけど・・・でも、彼は人との差異を楽しんでいるように私の眼には見える。私もそんな強い心を持ちたいな・・・

「あ、あのう、少佐殿。雑貨店などを見られてはいかがでしょうか。ここからだとローズ広場の近くにエスニック店が・・・」

私は小さな声を振り絞って少佐殿に問いかけた。・・・が、彼は私の方を見ていない。漂う紫煙に視線と意識が集中している。

「『天使は、彼が凝視している何ものかから、今にも遠ざかろうとしているところのように見える。彼の眼は大きく見開かれていて、口は開き、翼は拡げられている。歴史の天使はこのような様子であるに違いない。彼は顔を“過去”に向けている。』――つまり、天使のまなざしとは人間が見ることが出来ない歴史へ向いているとベンヤミンは語る。アンチ・ヘーゲル的な言説だ。ここから分かるのは――」

ダメだ、話をまったく聴いていない。・・・ど、どどうしよう?

「そうだ、メノコ!誕プレは本にしようか。うん、そうしよう。絵のセンスは幼稚園児がメガ進化したくらいなものだが、本なら幾分か目利きが出来る。君に本の説明をするから、良いと思ったのを彼にプレゼントしようか。」

少佐殿はそういって少し短くなったばかりのタバコの火をつぶし、コートを正してから前を歩いた。私も急いで彼の背中を追う。はぁー、私、何のためにいるんだろう・・・?



ブルー広場を抜けて、狭い路地を行きプランタンアベニューに出ると、その通りを挟んで、カフェ・アラモードの隣にカロス一の蔵書数を誇るマルゼーン・ミアレ支店がある。五階建ての大きなビルで、すべてのフロアに新旧や復刊を合わせた本たちが所狭しと置いてある。本好きにはたまらない、都会のオアシスだ。私はそんなに本を読まないけど、彼の会話についていくために新刊書のラインナップや新聞の書評欄は必ずチェックする。そういえば、少佐殿に出会ってからかな・・・真剣に本を読み込むようになったのは。
彼は文字面だけを追って、ありきたりな感想や正解のようなことを述べることに対して酷い嫌悪感を表している。「・・・そんなことは読書とは言わない。センター試験の勉強をしすぎた頭でっかちくんの哀れな思考だ。読書とは高次の快楽だ。そして技術でもある。覚えるのではない、学ぶのだ。」――読書会に初めて参加したとき、彼は最初にそう宣言した。自分が今まで受けてきた国語教育のすべてをひっくり返される気がして、少し鳥肌が立った。
彼の思考は鋭利だ、だから誰も触れられない――安易に触ろうとすると手を切ってしまうからだ。

「あっれ〜少佐じゃないですか?」

一階の新刊書コーナーでうろうろしていると、前方から声をかけられた。顔を上げてみると、長い金髪を後ろでまとめた、感じのよさそうな男性がこちらへ近づいてきた。

「お、ジョルジュじゃないか!なんだ、久しぶりだな。もしかして、テロが怖くて田舎にでも引っ込んでいたのか?」

「相変わらず笑えないブラック・ジョークを言いますね、少佐。・・・おっと、もしかしてデートですか?なかなか可愛らしいユキメノコですね。」

ジョルジュはそういいながら私の方に笑いかけた。急に頬に熱を帯びるのが自分でも分かった。

「彼女をからかうなよ、ジョルジュ。紹介しよう、メノコ。彼はジョルジュ・フィガロ。私より売れない小説家だ。ハッハ。」

「ちょーと、少佐よりは売れていますよ!それに私、貴官の三倍は筆が早いです。
あらためまして、こんばんは〜ジョルジュです。マドモアゼル(=お嬢さん)」

彼は私の手を優しく持ち上げて、その甲に軽くキスをした。びっくりして、思わず手を引っ込め、少佐殿の後ろに隠れる。ひゃ、ひゃわぁ!?

「・・・!あ、すみません、マドモアゼル。驚かせちゃいましたか?」

「彼女はシャイなんだ、ジョルジュ。まったく君は、女心というモノが分かっていないな、ハハハハッ!!」

それは少佐殿も言えないと思いますが・・・

「しょ、精進いたします。・・・そういや、少佐。あれ、読みましたよ。新刊の『ポケモン小説とイラストの二つの体制』。いやー、難しかったです。前半のゼノアさんの小説の読解はまだついていけましたが、後半のイラスト論はまるっきりお手上げです。ドゥルーズのベーコン論自体難しいのに、あれを理解した読者に向けて貴官は書いていませんでした?私は一読してそう思いましたよ。本当に意地悪なライターだ、貴方は(笑)」

「形象と具象性についての理論に関して言えばそういうことになる。絵画を含めイラストとは、四つのパターンが襞のように展開されているというを中心に論をくんで見たが、君の言う通り、ドゥルーズの本を読んでいないと読解するのが著しく困難だね。
もっともドゥルーズは19世紀を代表する美術史家アロイス・リグール(墺:1858−1905)の理論を援用しているが、それは――」

あ、あれェ・・・しょ、少佐殿・・・完全にここに来た目的を完全にお忘れですよね?ま、不味い。このままいけば、さばねこさんの御誕生日プレゼントが蔑にされてしまう。
・・・よしっ!ここは私が何とか選ばないと。少佐殿の役に立たないといけない!



美術と哲学が互いに交差するカオスな議論を展開している二人を置いて、私は意を決し三階へ上がっていった。ここには文学と哲学、人文諸科学や思想関係の本が置いてある。

さばねこさんは、いったいどんな本が好きなんだろう・・・数十に並ぶ大きな書棚を前にして、私は早速途方にくれた。
さばねこさん――おそらく私が戦場(ポケモンバトル)で一番相手にしている恩敵だ。彼のポケモンは手強く、一筋縄にはいかないし、運も重要なファクターとして機能している。かみなりが外れたり、メガホーンを回避したり、本当に際どい戦いが多い。
恩敵には塩を送らねば。そうだ、バトル関係の本にしようか。私はちくま学芸文庫の棚の前に行き、目ぼしい本を探した。ありったけの知識を総動員して、しばらく背表紙を眺めていると、よさそうな本が見つかった。バトル関係の古典とも呼ばれているD・H・リョクレンス(英?:1885-1930)の『Lady Absolute zero Lover.』(=邦訳『絶対零度夫人の恋人』)この本はたくさんの邦訳が出ているが、筑摩書房版は完全無削除で完全版として名が高い。もちろん、少佐殿から授かった知識だけど。
文庫本一冊では少し見劣りするから、もう一冊くらい選ぼうかな・・・私は単行本コーナーに足を運んだ。
単行本コーナーには奇抜なデザインの本が多い。本が売れない今日の世相を反映しているのだろうか。見た目でまず読者の気を引こうとする戦術――どの出版社も内容よりも外観にこだわっているような気がする。
「良い本はまず何といってもシンプルなことだ。」という彼の言葉に従って、私は書棚から書棚へさまよった。ミシェル・ウエルベックの『服従』、カート・ヴォネガットの新装版『はい、チーズ』、レイ・ブラッドベリ『ブラッドベリ、自作を語る』・・・どれもこれも読んで面白い本だけれど、さばねこさんに合うかどうかは、はっきり言って分からない。
ふと、平積みにされている一冊の本に目が留まる。J・D・リョクチャー(米?:1919-2010)の『The Catcher in the High rate』(=邦訳『高レートでつかまえて』)の新訳。少佐殿が「この本は人を惑わせる力を秘めている恐るべき作品だ。70年代の若者にとってこの書物はいわば聖書だった。この本に感化されてレートにもぐりポケモンバトルの闇を覗いたものが続出して社会現象になったほどだ。」って言っていたな・・・よしっ!これにしよう。彼も喜んで(?)くれるはず!




難航した本選びがようやく終わり、ふと腕時計に眼をやると、なんと20時半を過ぎていた。いけない!少佐殿を一時間以上も待たせている。急がなくっちゃ!


一階までエレベーターを使って降りて、少佐殿を探す。もし辺りを歩き回っていたら、電話をかけて見つけないといけなかったけど、彼はあっさりと見つかった。彼はまだ、ジョルジュさんと飽きずに話していた。少佐殿の表情は、いつも憂鬱そうな瞳に光が宿り、生き生きとして、まるで水を得たゴルダックのような様だ。対照的にジョルジュさんは、まるでジャローダさんのギガドレインを喰らったWロトムのような様だった。完全に少佐殿に食われていらっしゃる・・・

「おお、メノコ。本を持っているということは、“選び取った”ということだな。」

二冊の本を抱えて、茫然としている私に彼は近づき、頭を撫でてくれた。何だかお使いを頼まれた子供みたいだなと私は頬を紅潮させながら思った。

「ほうほう・・・リョクレンスの『絶対零度夫人の恋人』とリョクチャ―の『高レートでつかまえて』か。なかなか面白い組み合わせだな、さばねこさんもこの(本の)選出はさすがに読めんだろうな、フフッ。
さすが、私が育て上げたポケモンだ。よくぞここまで考え抜いた。」

少佐殿に褒められて、私はさらに頬を紅潮させた。貴官のためなら私はどれだけの困難を科されようとも、精一杯頑張りますよ。



・・・お会計を済ませて、私たちは店を出た。時計に目をやると、20時をとうに過ぎて、21時になるかどうかの時間。外はとても寒く、氷タイプの私でも少し肌寒かった。

「想像していた以上に寒いな、これは・・・もう冬か。季節は移り変わりが早くなったような気がするな。」

彼はコートの襟を立てて、手をしきりにこすり合わせている。時折吐く息が白く染まって空に漂った。

「今日は付き合ってくれてありがとう、メノコ。さて、何か食べてから帰ろうか。何を食べたいか言ってごらん。お礼に御馳走しよう。」

そういうと少佐殿が振り返り、おいでおいでと手招きをした。私は急いで駆け寄り、彼の隣に立つと、彼は私の手を優しく握った。ちょっぴり驚いたけど、私もそれにこたえるかのように、彼の大きなたくましい肩に身を寄せた。暖かいなぁ、少佐殿の手・・・身も心も、と、溶けちゃいそうです。

都会の夜の派手な街頭に照らされる私たちの影は、二つではなく、どこまでも一つだった。





追記T

 いやぁ、遅ればせながらお誕生日おめでとうございます!さばねこさん!
今年は三年目ということで、豪華☆特別版(笑)因縁のライヴァル(?)、ユキメノコ視点でお送りしました。
三年というのは早いですねェ・・・中学生なら高校へ進学、高校生なら大学へ進学Or就職といろいろと節目の年月であります。私自身、明日でここで書くようになってから三年になります。・・・え?本編がまったく進んでいないって?・・・それは言っちゃダメです(笑)シィー!
過ぎ去った一年が貴官にとって充実したものであるように、そして来るべき一年が同じように充実したものであるように密かにお祈り申し上げます。
これからもよろしくお願いします。ケイレイ!



追記U

 文中に登場するD・H・リョクレンス(元ネタ:D・H・ロレンス)とJ・D・リョクチャー(元ネタ:J・D・サリンジャー)は、もしかして緑の盟友・緑茶さんの祖父や曾祖夫のような方ですか?という野暮な疑問を抱いた読者諸君!それは忘れよう!
また文中に登場する『絶対零度夫人の恋人』は『チャタレー夫人の恋人』。『高レートでつかまえて』は『ライ麦畑でつかまえて』のパロです。現在は絶版だという・・・(笑)




Re: 『C/M』*侵攻中* ( No.249 )
日時: 2015/12/05 19:19:19
名前: 少佐◆PmkXtdTtWWM ID:PB4c0D0s

『C/M』


10-1 私が小説板にいたとき


私が小説板にいたとき

板は賑わい 様々な作家さんのスレッドはたくさんあって

チラッと閲覧したものが

とんでもない内容の小説だったりしていた


私が小説板にいたとき

脳内に電流が走る小説を読んでしまった

禁煙を破ったときのようにクラクラしながら

私は彼の作品の誠実さに惚れてしまった


私が小説板にいたとき

好意を抱いていた作家に関する書評を三編 上梓した

自分の言葉で 自分の思考で 彼らの表現に近づきたかった

・・・返答は言うまでもない


私が小説板にいたとき

くだらない内容のスレッドが目立つようになった

完結する気配や伏線すらも張らない低レヴェルな仕様で

彼らに私は勝つ見込みがない闘争を挑んだ


Re: 『C/M』*侵攻中* ( No.250 )
日時: 2015/12/05 21:21:21
名前: 少佐◆PmkXtdTtWWM ID:PB4c0D0s

『C/M』



10-2 私が小説板にいたとき


私が小説板にいたとき

読者を一人手に入れた

でもその人は私が信じていた作家に殺された

そんな馬鹿なことがあってたまるか

私は軍服の腕をまくり 卑屈な板に問いかけた


私が小説板にいたとき

私の頭は空っぽで

私の精神は頑固で

思考ばかりが先走っていた


私が小説板にいたとき

私は四年を費やし目標を完遂させた

でも虚しさだけが答えであり

慰めに一人で静かに泣いた


私が小説板にいたとき

私はとてもふしあわせ

可愛く言ってアンポンタン

誰もいなくなった廃墟で ひたすら 度数の高い酒を 胃が焼けるほど痛飲した





だから終わらせよう 私の仮面舞踏会はもう終い

こんな板で こんな時代で 書き続けて何になる?
人は誰しも他人から完全に理解されることはない

誤解されたまま生き 誤解されたまま消える

それに関しては良いも悪いもない それが現実なのだ

雑踏に囲まれた 暗い夜の ただ中で 私は己の筆を折った

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